恋人を「相方」と呼ぶことがなぜ気持ち悪いのか

 人前で恋人のことを話すとき、恋人を「相方」とか「相方さん」と呼ぶのって何だか気持ち悪いな、ということは昔からぼんやりと思っていた。明確に嫌な理由が浮かぶわけじゃないんだけど、その気持ち悪さは昔から感じていた。

 先日、そんな場面にテレビで遭遇した。某番組でみちょぱの彼氏の大倉士門さんが話し始めたときだった。特にみちょぱの名前を出すわけでもなく、彼が突然「相方が」と話し始めたものだから、周囲の芸人さんは一瞬だけ不思議な空気になってから(あ、彼女の話ね)と理解したようだった。芸人さんの中で「相方」といえばコンビの相方が浮かだろうから当然だ。彼はその空気を気に留めることなく「相方」を連呼して話が終わった。

 恋人を「相方」呼びすることの何が気持ち悪いのだろうと改めて考えてみる。例えば本人同士が「私達は”恋人”というよりも”相方”とか”相棒”と表現するほうがしっくりくるような関係性だよね」と思っていたとしたら、それは理解できる。だけどそれを他人に向かって「相方が」と話すと途端に気持ち悪い。その気持ち悪さって「恋愛関係を直接的に表現していない」という点だと思う。直接的な表現はしないけれど、それは恋愛関係を隠したくてボカしているわけではなく、明確に「恋人の話をしている」ということを伝えたいのにそういう表現をしている。それが気持ち悪い。例えるならば官能小説。官能小説では性描写をするときに直接的な単語をあまり使わず、あらゆる言い回しや比喩表現を駆使してそれを表現する。そしてそれが想像力を働かせ、直接的な表現よりもずっと生々しく卑猥に感じられたりする。「相方」という表現もそれと似たような感じがあって、直接的な表現を避けるからこそ生まれる言葉の生々しさがあると思う。「恋人」「彼氏・彼女」と言われればそれは一般的な表現として深く考えることもなく通り過ぎるけれど、「相方」という表現されることにより私達はそこに一度注目して脳内で(相方って恋人のことか)と脳内で言葉を変換したり、あるいは(恋人のことを相方と呼ぶ人なのか)などと二人の関係性や言葉の背景を想像したり、無意識のうちにその単語に意識がむく。こうして、直接表現を避けることによって逆に二人の関係をリアルに意識させて強調するようなことになってしまう。

 そんなわけで、二人の間で「”相方”という言い方がしっくりくる」という関係性も理解できるし、あるいは「恋愛の話とかするのって柄じゃなくて恥ずかしいからつい”相方”とか言っちゃう」みたいなのもあると思うけれど、むしろそういう人たちこそ人前で話をする時は「彼氏・彼女」などはっきり伝わる表現を使うことをお勧めしたい。一般的かつ直接的な表現を使えば周囲はそこまでその言葉に注目しないから、さらっと流れる。「相方」とか言われた時の気持ち悪さって…何て言うんだろう、家族でテレビ見てたら唐突なエロシーンが流れたときみたいな気まずさとか気持ち悪さというか、本当にそんな感じなので。あと「相方さんが〜」とかわざと不明確な言い方することで「え、もしかして彼氏!?」って言われたい感じの人は…割と(うわっ、気持ちわるっ)って思われていること覚悟でやったほうがいいです。