いじめには被害者に原因がある時だってある

「いじめられる方にも原因がある」というと、被害者側を責めていじめを肯定しているような印象を抱く人もいるようで「そんなことはない!」と否定する人は多い。しかしこれは良い意味でも悪い意味でもなくただシンプルに「いじめの発生に至るまでに何かしらの原因があり、そこには被害者の持つ何かしらの性質が含まれる場合もある」というただそれだけのことだ。決していじめを肯定したり被害者を責めるような意図は含まれていない。

 

確かに「いじめられる側には何の原因もない」というのはいじめられる側に寄り添う優しさのある正義的な言葉だ。しかし同時にいじめを少しでも減らすための正しい分析とはいえないとも思う。
例えばすごく優れた才能がある子が僻みでいじめられたりするのも、それは「被害者の才能」が原因の1つと言える。僻みとはまた別の方向で、その才能が周囲には理解しがたく異様に映ることからくる異物を排除するような形で起こるいじめもまたそうだ。これは被害者が”悪い”わけではないけれど原因は被害者側の持つ性質というわけだ。「親が○○だから」とか直接的に本人によるものではない置かれた環境などについてもそう。悪くはないけど本人が持つ性質や背景が”原因”となっているのだ。

また、これはさらに「被害者も悪い」という主張だと誤解されがちな例になるけれど、例えば友達の物を盗む癖がある子がいたとして、それが疎まれて周囲の友人から距離をとられるうちにそれがエスカレートしてイジメになったとする。イジメになった時点で"イジメ"の加害者と被害者の立場は100パーセント明確だけど、原因は「被害者が物を盗む癖があったこと」ではないだろうか。物を盗んでからといって「いじめていい理由」にはならないけれど、いじめの被害者になることでそれは帳消しになるのか?そんなことはないはず、確かに盗み癖が"原因"であるはずだ。

このように、いじめの原因となりうる性質を被害者側が持っていることは多くあるケースだと思う。(※重ねていうが「だからいじめられる方が悪い」と言うことではない。)そしてその”原因となりうる性質”と対峙した時に、いじめることしかできない加害者側の人間的な未熟さや攻撃性などもまた多くのいじめの主たる”原因”の一つである。


殺人や窃盗が無くならないように、今後もいじめはゼロにはならないだろう。それでも、正しく分析して教育することで防げるいじめもあると思う。そのためにも「いじめにおいて、被害者には一切原因はない」の一点張りで思考を停止してはいけない。それではイジメが起こってから加害者を叩き潰すだけの正義ごっこを繰り返すだけだ。子供がいじめの原因となりうる性質を持ち合わせている時にどう自衛させるのかあるいは周囲がどう守るのか、また、”原因”に対峙した子供達がその人をいじめなくて済むよう教育するにはどうすべきか?などを考えるためにも「いじめには双方に原因がある可能性がある」と考えるべきだと私は思っている。

(※何度も言うけれど、原因が被害者側にあったとしてもそれはいじめを肯定することにはならないし、被害者側が持つ原因要素=いじめにおける被害者の落ち度と言うことではない)

 

余談だけれど、私の大学の恩師は、こう教えてくれた。「自分でこれだと思えるもので実力と自信をつけてください。実力のある人は、人をいじめたり、威張ったりしなくて済みます」と。そして先生自身も彼女の優秀さに嫉妬した同僚や上司からいじめを受けた経験があり、それについて「最初の頃は落ち込んでいたけれど、自分をいじめる人は実力をつけていない人だと気づいたし、何より自分の勉強を進めるうちに、傷つかなくなっていった」とも。それが全てのケースに当てはまるわけではないけれど、自分自身もそれを意識して生きていきたいし、いつか子供を育てる機会があればこれを意識して、人をいじめなくて済む人間に育てたいと思う。