空回りする恋愛

見た目は悪くなく清潔感があって服装もオシャレだし人当たりも良くて善良な友人。それなのに全く恋が実らないのです。それは何故なのか。身の回りでそのような傾向にある数人の人達について考えてみたところ、共通する事項がありました。それは「自分を客観視する力が著しく不足している」ということです。
 
自分を完全に客観視することなんて勿論不可能ですが、通常は他者視点を想像したり一般論を当てはめたりしながら自分を観察してある程度客観視するということを行います。ところが彼女たちはそれができていないのです。自分の世界だけで物語が進んでしまっており、彼女らの恋バナを聞いている側としても「なんでそうなる??」というような解釈が多くて少々怖くなったりします。
例えば、最近だとこんな会話がありました。

 

友人「(業務上の話で)~していいですか?」
相手(意中の相手)「うーん…今回は特別にいいですよ」

 

この会話は客観的にみると"業務上の確認とそれに対する許可"というよくある状況ですよね。また「特別」というワードからは"原則としてはNGにもなり得るが、状況等を鑑みて例外的に許可をする/毎回同様の対応はできない"という相手の意図が読み取れると思います。 ところが、友人の解釈は全く異なります。彼女はこの「特別」を「私だから特別に許可してくれた」と解釈しており「こんな風にさりげなく"特別"という言葉でアプローチしてくるなんて彼はあざとい!」と私にのろけたのでした。
 
このようにぶっとんだ解釈になってしまう理由は「恋愛感情の所在」を誤認しているところにあります。
片思いの相手との会話って些細なことでも嬉しくなってしまいますよね。なんてことない相槌にすら舞い上がってしまったり。 通常、こういった興奮を客観的な視点をもって解釈するならば「相手はいつも通り他の人に対するのと同じように振舞っているだけなのに、自分が相手に好意を持っているゆえに嬉しくて勝手に舞い上がってしまう」ということになります。事実としては特別なことは何も起こっておらず、ただ自分の中にある恋愛感情により自分中で興奮が生じているだけということです。 しかし彼女は異なる解釈をします。「相手が自分への特別な感情込めて接してくるから、私は舞い上がってしまった」と、自らの興奮の理由を"自分の恋愛感情"ではなく"相手の恋愛感情"によるものと誤認しているのです。
 
こうした勘違いを積み重ねると、恐ろしいことに自分の恋愛感情が大きくなればなるほど"相手がアプローチしてきている"と誤認することが増えていきます。 実際には相手の眼中にもなく恋愛の土俵にも上がれていない状態なのに、なんでもない会話や表情に勝手に意味を持たせて、自分の中だけで物語がどんどん進んでしまい一人相撲を取り続けるのです。 結果として相手の中では何も始まっていないのに対して友人は誤認した距離感で接することが増えていき、相手がその様子のおかしさに気が付きなんとなく距離を置かれるのです。距離を置かれる動きをされて初めて、友人は「上手くいっていない」ということにうっすらと気が付きます。
 
また、彼女なりに恋愛がうまくいかないことを自己分析して"モテテク"的なものを試みるのですが、ここでもまた自分を客観視できない故の要らんアレンジを加えて「やらない方がマシ」というような行動をとってしまうのです。 例えば「もし良ければこれやってほしいな♪」と可愛くおねだりするというテクニックがあるとします。そのテクニックの本質は相手に「頼られてうれしい」と思わせることや「些細なことをお願いしてくる慎ましさ・お願いする仕草の可愛らしさ」のアピールです。これを彼女は「あのさぁー、これやっといてくんない?」とガサツな言い方にアレンジしてしまうのです。これでは「しょうもないことを偉そうに押し付けてくる女」でしかなく、そのテクニックの本質となっている要素を全て排除してしまっています。彼女いわく「男に媚びたり女っぽさ出したりしない」という自分のキャラに合わせたアレンジらしいのですが、そんな言い方をするなら言わない方がマシなのです。これもまたテクニックの本質を理解せずにただ「自分が自分の中でどういうキャラか」に気を取られてしまい「自分の振る舞いを客観的に捉える」という視点がすっかり抜けてしまっている例です。
 
楽しそうに"脈アリな恋バナ"をする友人に「それ相手にされてないよ」「特別な態度とられてないよ」と水を差すようなことはなかなか言えないですが(適切に伝えないと「あなたが好かれるわけがない」みたいなニュアンスで伝わりかねないので…)どうか「このドキドキは自分の感情のせいなのか、相手から向けられた感情のせいなのか」というところに意識を向けてみて欲しいなと思います。自分の現在地を可能な限り正しく理解できた方が、恋の勝率も上がると思います。本来あなたが持っている素敵な人柄がきちんと相手に届きますように願っているよ。
 
そういえばこの現象、貰ったファンサに対して過度に意味を持たせようとしてしまうアイドルオタク(一方的に面倒な絡みをして困らせただけなのに「推しと喧嘩した」と認識したり、一瞬の目線で「"お前~~~だなー!"みたいな目でこっちを見て来た!」とやたら具体的で細かい解釈しちゃうタイプ)とかも同じことかもですね。

倉敷で縫製までされたはずのデニムパンツがMADE IN CHINAだった話

最近、ánuansのデニムパンツを購入しました。

普段はスカートを履くことが殆どでパンツ(っていうのがいまだに照れくさくてついズボンと言ってしまう)はEMODAのレギンスと呼んでも違和感がないほどにストレッチがきいたスキニーを1本持っているくらいなものなので、ちゃんとしたデニム生地のものが欲しかったのです。オンラインであれこれ見ていたところ、ánuans(アニュアンス)というブランドで大人っぽくきれい目なスタイルにも合いそうなスリムストレートやボーイズシルエット、ダメージワイドデニムなどが揃っていました。

↑購入時にオンラインショップに記載されていた内容

 

倉敷ってデニム製品で有名ですよね。私みたいな素人にまでその素晴らしさが認識できることなのかは不明ですが、生地の質や加工だけでなく縫製技術も素晴らしいそう。そんな倉敷の生地で縫製・加工も倉敷で行われているのはすごく魅力的だったのでオンラインショップで購入してみました。

届いて早速履いてみると、脚やお尻がすごく綺麗に見える素敵なデニムパンツでした。これが倉敷のデニム…!しかもマシンウォッシャブル!…と思いながらタグを見てみると「MADE  IN CHINA 」。生地が日本製でも最終工程が中国だとそういう表記になるという話は聞いたことがありますが、縫製まで倉敷で行っているものも何らかの工程で中国製になるの…⁉ 私は普段からMADE IN CHINAであることに嫌悪感はない部類の人間なのですが、「倉敷市にて生地、縫製、加工まで施されております」とあればてっきりMADE IN JAPANだと思い込んでいたのでこれには少し驚きました。まあいいか…そういうものなんだなぁ…とも思ったのですが、どうしても「縫製まで日本でしているのにわざわざ中国に送ってどんな工程があるのだろう?タグ付けだけ中国とか?」と気になる気持ちが消えず、面倒なお問い合わせであることは百も承知で購入したオンラインショップにお問い合わせして質問してみました。

 

お問い合わせ窓口を介して担当の部署にご確認いただいたところ、結論から言うと「倉敷で縫製」という記載は誤りで、実際には中国で縫製が行われていたそうです。オンラインショップの記載からも問い合わせ以降その文言は以下のように修正してくださっていました。

修正後の記載文(Slim straight denimより)

お問い合わせした当初は「倉敷での縫製」ということ自体は虚偽ではないことが前提で、部分的に中国で何かしているのかな?あるいは似ているけど異なる商品が届いてしまっていたのかな?という風に予想していたので、「倉敷で縫製」ということ自体が誤りだったことにはとても驚いたし大変残念に思いました。そんなことがあるなんて思いもしなかった。しかしながら製品自体は気に入っているので、私は返品や返金を求めるようなことはしておらず、そもそもお問い合わせ窓口の方からもとても丁寧な謝罪の言葉があったのみで返品や返金など何らかの対応についてのご案内などは特にありませんでした。

それにしても「(解釈次第で)誤解を招く表現」を通りこして、言い方は悪いけど「虚偽の情報」を出して販売しそれを購入した人が私以外にもおそらく居たであろうにも関わらず、文言修正のお知らせの文書も出さずにオンラインショップの商品紹介文をサイレント修正をするのみで終了していいんだ…⁉という驚きがありました。私以外にもあの文言に魅力を感じて購入し倉敷で縫製されたものという認識のもとで所持している人、いると思うんだけどなぁ。

 

購入したサイトは長年お世話になっているUSAGI ONLINEなのですが、ánuansというブランドはMASHグループのブランドではなく株式会社DOT ONEという他社のブランドなのですね。eimy istoireとかも運営している会社。私はこの件について「ただ知りたい」でお問い合わせをしただけであってクレームを言いたかったわけではないので私個人に対してこれ以上の対応は特に求めずお問い合わせを終了したけど、誤った情報で商品を紹介し途中でサイレント修正をしたことでDOT ONEさん運営ブランドへの不信感はどうしても拭えなくなってしまいました。引き続き春夏の服を物色しているけれど、ánuans含むDOT ONEさんの取り扱いブランドだと何となく怖くて避けてしまっています。商品は素敵なものだったし、というか商品全般に罪はないし、当該ブランド全部に誤った記載があるわけじゃないことは理解しているし、おそらく今回も故意による記載ではなかったと思うのですが、こういう「企業としての対応の誠実さ」って信頼感に直結するものなんですね…としみじみ感じました。

初デートでサイゼリヤはあり?なし?

SNS上で「初デートでサイゼリヤはあり?なし?」という話が度々議論されているのを見かけます。
その中心となっていたのが婚活界隈だった(おそらく20代半ば以上くらい/結婚を考えて交際を検討する人達/出会い方によっては初デート=初対面の可能性もあり)ということも踏まえ、私は「なし」派です。

これは、支払う金額自体の問題ではなくデートに対する姿勢が相手からどう見えるかという問題だと思います。
私が「なし」と思う理由は、まずサイゼリヤのお店の雰囲気。中高生の集団やファミリーなども多いし席と席の距離も近い(※都心の店舗を想定)ので店内が騒がしい。飲み物は基本的にドリンクバーなので席を立ったりするタイミングもお互い気を遣いますよね。それに加えてサイゼリヤという店は味より何より「価格の安さ」に重きを置いている印象が強いと思います。そういった様々な要素から「お互いを知り合う」「ゆっくり話す」ということを差し置いて「とにかく安く済ませたい」という気持ちが強く感じられてしまい(実際そんなつもりでなくても…)、仲良くなろうとする意志が感じとりにくいです。
そしてこれだけ「初デートでサイゼはあり?なし?」と定期的に話題にあがる中であえてサイゼに連れていかれたら「こちらの反応を試されてるのでは?」という嫌な印象を抱かれてもおかしくないです。

「ではどんな店がいいのか」を考えてみました。当然ながらこれは完全に個人的な見解です。
※とりあえず都内でランチ~カフェデート、年収にそこまで大幅な差異がない想定

・双方が行きやすい地点
→自分の家からはアクセス良好だけど相手の家からはアクセス悪い…とかはなるべく避けて、まずは「どこら辺が出やすいですか?」みたいな感じで互いが行きやすい地点をすりあわせると良いと思います。(「〇〇線沿線あたり」とか「〇駅~×駅あたりは良くいく」とか普段の行動範囲などを路線や区間でざっくり伝え合ってすり合わせるイメージ)

・予約が可能なお店
→休日の都内はカフェやレストランが満席ということが多くあります。関係性が浅い二人がカフェ・レストラン難民になって歩き回ったり長時間待つのは大変。可能であれば事前にお席の予約が出来るお店が良いと思います。

・落ち着いた雰囲気のお店
→メインターゲットを中高生やファミリー層としておらず、大人の少人数利用の客が多いお店の方が好ましいなと思います。落ち着いたトーンで話しても双方の声がちゃんと聞き取りやすいくらいの、あまり騒がしくないお店だと話しやすいですよね。

・割り勘は勿論、奢っても奢られても気を遣わないような客単価の店
→奢る奢らない問題は置いといて、実際お会計の時の空気が初回はどうなるかわからないですよね。
相手が割勘派なのかどちらかが奢るべき派なのかもわからないし、自らが「ぜひご馳走したい!!」という心境になる可能性もあれば、「自分の分すら払いたくない!むしろ時給くれ!」という心境になるかもしれない。出すつもりでいたのに相手の申し出によりご馳走になるかもしれない。なのでひとまずどのパターンでもそこまで気にならない範囲内での価格帯にすべきかなと思います。私個人の感覚でいうと1人あたり3,000円以内くらいかな。

このあたりを気にしながらお店を選ぶと無難なのではないかと思います。

 私自身サイゼリヤは大好きで、夫とも交際時~結婚してからもよく普段使いの飲食店として利用しています。歳を重ねて数万円するコースとかも食べに行くようになったけれど、変わらずサイゼリヤのような低価格のファミレスも心から楽しめる夫婦であることをすごく嬉しく思います。
(しかしここ数年のサイゼはメニュー変更・メニュー写真とあまりにも状態が異なるものを提供される・その他不備が重なったのでガスト派になりつつありまして…!そういう面でも近年はなおさら初デートにサイゼは推せない…!)
 結局のところ「初デートでのサイゼはナシ!」というのはサイゼリヤという店を構成する主な要素がことごとく「初デートでお互いを知り合おう・関係を築こう」という気持ちを見えにくくしてしまうことが原因だと思います。それでもどうしても初デートにサイゼリヤに行きたいと思うのであれば、お店選びとは別のことでそのあたりをフォローできるといいのですかね…。

互いを知り合う過程を経て良い関係が築いたのちであれば"サイゼデートで心から喜ぶ女性”は案外たくさんいると思います。

写真を撮るのが下手すぎる彼

 私は自分の容姿に自信がなく、写真に写るのがずっと苦手だった。自分のカメラで撮ったならばまだ気に入らなければ加工するなり消去するなり共有を控えるなりすれば良いけれど、他人のカメラに映るのはすごく不安だった。私はSNSに自分の写真を載せたりするタイプでもないので別に映え写真や盛れてる写真を撮りたいということではないのだが、自分の醜い姿が他人の端末に保存されると思うと不安で仕方なく、カメラを向けられると緊張で顔が強張った。

 

 私の夫はいわゆる「写真を撮るのが下手すぎる彼氏」という部類の人だった。そのわりに彼は私を撮りたがるのだが、普通にスマホを触る時のままの位置と角度で「とりあえず被写体(私)を画面におさめる」という感じで撮るから、謎の余白・中途半端に切れた背景・わざとかと思うくらい短足/顔デカに見える角度で撮るのがデフォルト。容姿に自信がなかった私にとっては、写りが極端に悪い自分の姿が彼の端末にどんどん保存されていくことが大変な苦痛だった。ある時ついに耐えられなくなり「こんなにブスに見えるような角度ばかりで撮られるのは嫌だ。撮るならもう少し綺麗に写す努力をして」と少しきつく伝えた。すると彼は「じゃあもう撮らないよ」とそれ以降パッタリ撮るのをやめた。

 

 彼が私を撮るのをやめてから数年ほど経ち、いつの間にか私の方が彼の写真をよく撮るようになっていた。全然かっこよくない日々の何気ない(むしろ変な)彼の姿が愛しく思えて、写真を撮りたくなる瞬間が増えたからだ。彼はどんな姿の時もカメラに対して身構えず自由に撮らせてくれた。そして時々それらの写真を二人で見返してはその度に大笑いした。

そんな日々の中で、私はふと彼に「もう撮らない」と言わせてしまったことや彼の端末に自分の写真が増えていかないことを勝手ながら寂しく思った。彼もきっと私の"綺麗な姿"を撮ろうとしていたのではなく、"愛しい瞬間"を記録しようと思ってカメラを向けてくれていたのだなと、自分が彼を撮るようになって気が付いたのだ。「撮られるのが嫌だって強く言ってごめん。もうどんな顔でも大丈夫だから好きに撮ってね」と私が伝えると、彼はまた少しずつ私にカメラを向けるようになり、私もそれに対してリラックスして応えられるようになった。どんな表情もどんな角度で撮られた自分も、私たちにとっては楽しくて愛しい瞬間の記録なのだと理解したから。以降の彼が撮る写真は心なしか角度など気にしてくれるようにもなった気がするが、相変わらず変な角度の短足ブスな写真もたくさんある。でもそれでいい。カメラを向けられるたびに顔が強張っていた頃とは違い、私はどんな角度でどんな不格好な時でも幸せそうな表情をしている。彼の端末にそんな自分が記録されていくことがとても嬉しい。

 

「こんなブスに撮られるのが嫌だ」と感じた当時の自分の気持ちもすごく切実だったし、他人を撮るならば多少なりとも写りを配慮してあげることは必要だと思う。そういった気持ちを正直に伝えたことも含め、その後も交際する中で深い信頼関係を築いてこられた。だからこそ「彼はどんな自分も彼が愛してくれる」ということが確信できて「彼にならどんな自分を撮られても大丈夫」と思えるようになったのだ。こんな関係になれて本当に良かった。これからも他人に見せて自慢できるような映え写真よりも、見返すたびに二人で大笑いできるような写真をどんどん増やしていきたい。

酒飲んだ次の日めちゃくちゃ落ち込む

タイトルの通りです。昔からそうなんです。

この話は酔って失言してしまったとか迷惑かけたとか記憶を無くしたとかそういった所謂”お酒の失敗”による落ち込みの話ではなく、特に失言もせず泥酔して迷惑をかけたわけでもなく楽しく過ごしてバイバイしてきたはずなのにどうして後からこんなに気分が落ち込むのー!?というお話です。必ずしも酒に限らず、アルコールなしで普通にお茶とかご飯に行ってめちゃくちゃ楽しくお話しして帰ってきた時とかにも似たような現象が起こったりするのですが。私以外にもそういう人って結構いるんじゃないのかな。

 

”飲酒後の落ち込み”について検索をすると自律神経がどうのとか出てくるし確かにそれもそうなのかもしれないのですが、そもそもこれは「テンションが上がって普段とは違う自分を周囲に見せる」という事と自分の自己肯定感の低さの相性が悪いのだろうなと思ったりしています。

私は自己肯定感(最近は”自己肯定感”と”自信”を同じ意味で使うのが流行り?っぽいですが、これは心理学的な意味の方で使ってます)が低い人間で、例えば自己開示へのストレスが異様に大きくなってしまっていて面談などで自分のことを話そうとすると勝手に涙が出てきてしまったりする人間でした。大したこと話しているわけではなくて、普通になんでもない話をしたつもりでも、無自覚なストレスが生理的に表れてしまうんです。学生時代を終えたらあまりそういった機会もないけれど、根底として「自分のことを知られる」ということへの心理的負荷がすごく強い人間なのだと思います。

それを踏まえるとアルコールやその場の雰囲気などで「テンションが上がっていつもと違う面を見せてしまった」という状況は、それもまた意図せぬ自己開示なのですよね。その場ではその自覚がなく楽しく過ごせちゃうけど、帰り道や翌日などに自己開示をしたことによる心理的負荷がドドドっと押し寄せてしまうのかな、なんて考えています。

 

だからこれは面談の時になぜか出てきてしまう涙と同じく単なる私の性質によるもので、自分の中だけで起こっている問題。実際に自分と相手の間には何も落ち込むべきことや不安になるようなことなど起きていない。大丈夫。私はそう自分に言い聞かせています。

落ち込む原因がわかると少しだけ気持ちが楽じゃないですか?少しだけね。

美容医療は金ドブだよね

 

 

yogoretemoiino.hatenablog.com

数年前にIPL(フォトフェイシャル)を契約しまして、結局これは6回くらいやったのですけど結論から言うと薄いシミは無くなりませんでした。照射後に濃くなって反応するものの、結局元通りくらいの薄さに戻るだけ…と言うのの繰り返しでした。ただ、肌のハリを褒められるようになったりとか「なんとなく肌の調子がいい」みたいなのはあったかもしれないです。ただその「何となくいいかも」に支払うには高額すぎるので(安価なクリニックもありますが)、IPLは正直金ドブだったな、と。

その後、ピコスポットを2回しても結局ダウンタイムが終わると元通り。それから医師の勧めでピコYAGレーザーも試したけど瘡蓋の保護をすごく頑張ったものの結局元通り。そして先日再度ピコスポットを照射しに行った際には毎回しっかり照射してもらっている部分について「あれ?ここらへんは前回は照射してないですか?」と言われるくらい、これまでの照射は本当に変化なしでした。ファンデで隠れる程度の薄いシミたちだからそこまで絶望もないけれどレーザーを照射すれば万事解決なのかと思っていたから、こんなにも効果が出ないのは金ドブすぎて笑えちゃいますね。今もダウンタイム中でちょうど濃くなっている時期ですが、もはや何も期待してないです。ただ色素沈着にならないよう気をつけながら過ごすのみ。

すごく濃くて大きいシミがほんのり薄くなったりとか見るからに広範囲でボッコボコのクレーターが少し軽減されているような症例写真を見るとすごーーく効果があるように見えてしまうけど、自分しか気にしてないレベルの薄いシミとか部分的な小さいクレーターをツルツルの何もないお肌にするのってなかなか無理なことなんだろうな。

肌に関する美容医療は金ドブだなと毎回何かしらやるたびに思うのだけど、本当に無駄だったかと言うとそうでもなくて「これだけお金をかけてこの施術をしたけどこれが限界だった」と言うことがわかると諦めがついて一旦落ち着くので、やらずにモヤモヤするよりはやってみて良かったなとは思います。おすすめもしないですけど。

 

ところで私は仲の良い友達にこそ美容医療の話をするものの、基本的には人にあまり言いたくなくて今も職場でマスクをしてダウンタイムを隠しています。(ピコYAGの時は顔中テープだらけだったけど、それもどうにかマスクしでかくして乗り切った…!)ただし普通のマスクだと一番シミが多い(=反応してる箇所が多い)目の周りがうまく隠れないんですよね。そこでこのマスク重宝していました。

ビースタイルUVカットマスク

ちょうど隠したいシミや肝斑ゾーンを覆ってくれる。口元が少し立体的で唇につかないのでリップも落ちない。面積大きい割に不自然な感じもしなくて、何ならフェイスラインはシャープに見える小顔効果。そして比較的息苦しさも感じにくいです。UVカットの効果は如何程のものかわからないけど、レーザーの後って紫外線には特に気をつけたいから「UVカット」と書いてあると何となく安心(日焼け止めも塗りますが!)。とにかくダウンタイムはこれさえあれば安心です。

というかダウンタイムじゃなくてもマスクしなければならないシチュエーションの時にはこれがお気に入り。耳の手前まで覆われていると、シミゾーンが隠れるだけじゃなく摩擦も起きにくいんですよね。私いつも普通のマスクをしていると話したりとか表情筋を動かすたびにマスクの端が擦れて肌が荒れてしまっていたんですけどこのマスクはそれがなくて本当に快適。超おすすめです。

 

ちなみに「諦めがついた」とか「何となく調子がいい」とかじゃなく、しっかりと効果を感じて心からやって良かったと思える&人にも勧められるのは医療脱毛と歯の矯正くらいだな。それでもまた今日も今日とて美容皮膚科のメニューと睨めっこしてしまう自分がいます。また金をドブに捨てたらご報告しますね。

恋人を「相方」と呼ぶことがなぜ気持ち悪いのか

 人前で恋人のことを話すとき、恋人を「相方」とか「相方さん」と呼ぶのって何だか気持ち悪いな、ということは昔からぼんやりと思っていた。明確に嫌な理由が浮かぶわけじゃないんだけど、その気持ち悪さは昔から感じていた。

 先日、そんな場面にテレビで遭遇した。某番組でみちょぱの彼氏の大倉士門さんが話し始めたときだった。特にみちょぱの名前を出すわけでもなく、彼が突然「相方が」と話し始めたものだから、周囲の芸人さんは一瞬だけ不思議な空気になってから(あ、彼女の話ね)と理解したようだった。芸人さんの中で「相方」といえばコンビの相方が浮かだろうから当然だ。彼はその空気を気に留めることなく「相方」を連呼して話が終わった。

 恋人を「相方」呼びすることの何が気持ち悪いのだろうと改めて考えてみる。例えば本人同士が「私達は”恋人”というよりも”相方”とか”相棒”と表現するほうがしっくりくるような関係性だよね」と思っていたとしたら、それは理解できる。だけどそれを他人に向かって「相方が」と話すと途端に気持ち悪い。その気持ち悪さって「恋愛関係を直接的に表現していない」という点だと思う。直接的な表現はしないけれど、それは恋愛関係を隠したくてボカしているわけではなく、明確に「恋人の話をしている」ということを伝えたいのにそういう表現をしている。それが気持ち悪い。例えるならば官能小説。官能小説では性描写をするときに直接的な単語をあまり使わず、あらゆる言い回しや比喩表現を駆使してそれを表現する。そしてそれが想像力を働かせ、直接的な表現よりもずっと生々しく卑猥に感じられたりする。「相方」という表現もそれと似たような感じがあって、直接的な表現を避けるからこそ生まれる言葉の生々しさがあると思う。「恋人」「彼氏・彼女」と言われればそれは一般的な表現として深く考えることもなく通り過ぎるけれど、「相方」という表現されることにより私達は脳内で(相方って恋人のことか)と脳内で言葉を変換したり、あるいは(恋人のことを相方と呼ぶ人なのか)などと二人の関係性や言葉の背景を想像したりと、馴染みのない表現を理解するために無意識のうちにその単語に意識がむく。こうして、直接表現を避けることによって逆に二人の関係をリアルに意識させて強調するようなことになってしまう。

 そんなわけで、二人の間で「”相方”という言い方がしっくりくる」という関係性も理解できるし、あるいは「恋愛の話とかするのって柄じゃなくて恥ずかしいからつい”相方”とか言っちゃう」みたいなのもあると思うけれど、むしろそういう人たちこそ人前で話をする時は「彼氏・彼女」などはっきり伝わる表現を使うことをお勧めしたい。一般的かつ直接的な表現を使えば周囲はそこまでその言葉に注意が向かないから、さらっと流れる。「相方」とか言われた方が逆にその言葉に注意がいってしまって生々しくなるんですよ、みんなサラッと流している風にしていても。

あと「相方さんが〜」とかわざと不明確な言い方することで「え、もしかして彼氏!?」って言われたい感じの人はシンプルに面倒です!!!!