眞子さまのご結婚について思うこと

ご結婚が正式に決まったという情報が出て、お二人のご結婚を肯定する意見も多くみられるようになりました。その多くは、「結婚は個人の自由である」というような眞子さまの権利を主張する内容だったり「好きな人と幸せになって欲しい」という情緒的に寄り添う意見が多いように思います。私も気持ちとしてはそれに同意したいですが、問題の本質はそこではないと思うのです。日本の”象徴”である皇室のお姫様が疑惑だらけのままの相手とご結婚することは、「眞子さまに幸せになってほしい」という周囲の気持ちや「眞子さま個人の権利」の範疇で完結するものではありません。「日本の象徴としての天皇」という天皇家の在り方や宮内庁という存在自体を揺るがすものだと思うんです。

過去から現在に至るまで、圭さんにもそのお母さまにも様々な疑惑があります。その1つ1つの真偽のほどは私にはわかりませんが、いずれにせよ国民が不信感を抱くには十分すぎる数と内容の疑惑です。もし彼がそれらの疑惑に対して出来得る限りの最大限と思われる対応をしていたとしても、一度疑惑が出てしまっている以上は不信感をぬぐえないと感じる国民が数多くいたことでしょう。それでも、真摯に向き合う様子を見せたならそれを評価してお二人の結婚を応援する人も少なからず増えただろうし、もう少し認めざるをえない空気になっていたと思います。
しかし、彼が疑惑浮上後に私たちにみせている行動の多くは「ベストとは言えない」どころか疑惑の信憑性が増してしまうほどに「常識から大きく外れている」と言わざるをえないものでした。彼(あるいは眞子様を含めた”彼ら”)が自身の置かれた立場にふさわしい行動がとれないということは、”過去の疑惑”ではなくて私たちが現在進行形で目撃している明白な事実なのです。

眞子さまは小室家に嫁ぎ一般人として暮らすのだから「一個人の自由」と思う人もいるでしょうが、一般家庭に嫁いだからといって皇室と縁は切れません。それどころか、ご結婚すれば「小室家」と「皇族」の家と家の縁が結ばれるのです。そしてお二人が天皇陛下(或いは未来の天皇陛下)とごく近い位置の親戚となることに変わりありません。だからこそ、一般人になったあとも「皇室の縁者」として品位を保つための一時金というお金が用意される制度があるわけです。本当に一般人として「皇室と無関係な個人」になるのなら、品位を保つためのお金を皇室の費用から捻出する制度は理にかないません。これはお二人が一時金を拒否しようが受け取ろうが立場としては同じことです。また、現在はこの結婚問題で潰えつつある案かもしれませんが、女性宮家創設の話もあります。その制度の内容次第では眞子さまは結婚後にも皇室に立場を持つ可能性もあり、小室氏は「天皇陛下と近い親戚」どころか「小室圭殿下」と呼ばれるお立場になる可能性もあるのです。現状、お二人がその立場を望んでいなくとも、未来の可能性としては考えられることです。そんな立場のお二人の態度に国民が不安を感じるのは自然なことだと思います。

 

天皇は日本の象徴です。ただのお金持ちではありません。もちろん、人として尊重されるべきではあると思いますが、「個人の自由」で国民に寄り添わぬ品位のない選択をするのであればそれは税金を投入して存続する意味がありません。眞子さまと圭さんの「個人の自由」により数々の疑惑で象徴を汚すことは、皇室メンバー・そして日本の国民全員の顔に泥を塗るも同然です。

 

皇室に生まれた故の眞子さまの苦悩を軽視するつもりはありませんし、お幸せになって欲しいと思っています。だけど、これまでも現在も皇室に生まれた故の苦悩を背負う一方でその立場や金銭や権力などあらゆる面での特権を使われてきたことも事実です。まさに圭さんの件に関しても特権を存分に(というより不当と思われても仕方ないくらい)に利用しています。皇室としての力をそういった形で振りかざしていること(眞子さま自身の希望以外に、家族としての方針や周囲の忖度も含む)や、それらの表向きの体裁さえ整える気がなく意味不明で矛盾だらけのまま国民を黙らせて事を強行しようとしていること、物凄く馬鹿にされてるような気持ちです。そして「個人の希望」で忖度含めここまで大規模にお金や人を動かしてしまうことへの恐怖心もあります。今後の皇室メンバーの「個人の希望」が「結婚」とは限りません、どんな希望でどんな事態を招いてしまうのか、想像もつきません。これに関しては眞子さま個人への恐怖心というより、宮内庁皇室それ自体に対してのものです。皇室にこそノブレス・オブリージュを心掛けてほしいのです国民を悪者扱いして強引に黙らせたまま「個人の希望」を押し通すのではなく、いつでも国民に寄り添って誠実に向き合って欲しい、そう願っています。

推しが出たので『醉いどれ天使』を観てきたよ

『醉いどれ天使』

出演:桐谷健太 高橋克典 佐々木希 田畑智子 篠田麻里子/髙嶋政宏 ほか

原作:黒澤明 植草圭之助

脚本:蓬莱竜太

演出:三池崇史

 

に隠れ、朝を恐れ、昼を恥じて、ただ、息をするー

 

「こんな風にしか生きられない」という遣る瀬無さや虚しさは私にも覚えがある。最善でないとは理解していても、そんな風にしか生きられないのだ。未来のことを考えるよりもまずその日をやり過ごすためにはそうするしかなくて。

この物語の舞台である戦後間もない頃とは違って、今の私たちは努力次第でたくさんの選択肢や可能性がある。それでもそんな風に感じることはある。選択肢は無限大に見えて実質一択でしかないことだって多い。それしか選ぶことができない自分の無力さを感じながら、虚しさを抱きながら、それでもただ息をして生きるしかない。華やかな暮らしをしているように見える人も、楽しそうにしている人も、みんな「そうするしかなくて」そこに居て、それぞれの地獄を抱えながら生きている。

人の本質的な部分を描いた作品というのは、時代や性別や環境の違いなども超えてしっかり伝わるものなのだと実感しました。

 

出演者の方のお芝居もとても素晴らしかったです。特に女性陣の出演者が印象に残りました。

田畑智子さんは少しの声色の違いですごくセリフに表情が出るというか。慎ましい雰囲気の中にも芯がある女性の強さや逞しさも感じて、すごく存在感のある女優さんでした。今回の舞台で一番印象に残った演者さんです。

佐々木希さんに関してはお芝居のお仕事をしている印象もなくて、失礼ながら「旦那さんが問題を起こして以降、見る機会増えたなぁ(お察し)」の一環と言いますか、舞台で見ても「あ!佐々木希だ!可愛い!」って感じなのかなと思っていたのです。実際びっくりする程可愛いのは本当ですが、舞台では「可愛い佐々木希」に引っ張られず完全に「ぎん(役名)」でした。全てを糧にしているかのような味のある演技だったし、涙するシーンでは大粒の涙がボロボロ溢れて、こんな風にお芝居をする人だったんだ…!と、「佐々木希を生で見れるの楽しみ」みたいな軽い気持ちでいた自分を恥じたほどです。

麻里子様に関しては以前主演の舞台『アンフェアな月』でも観たことがあって、その時はドラマの『アンフェア』だと篠原涼子さんが演じていた雪平夏見役を彼女が演じていたんです。その時の印象が「この滑舌で舞台主演は何故なのか…舞台向いてないよね…?」という感じで、AKB時代の舌ったらずな感じそのままで雪平役だったので正直苦笑モノだったんですね。でも今回はすごく聞き取りやすくて素敵な悪女っぷりでした。その変化がすごく嬉しかったです。

 

あの黒澤監督の作品を有名な映画監督の三池さんが演出されて錚々たる芸能人が出演して大々的にテレビで宣伝して…というだけあって、大道具なども素晴らしかったし衣装も映画版と同じデザインだったり生バンドで音楽が入ったりと、何もかもが豪華で観ているだけで楽しめる舞台でした。

 

普段あまり舞台の感想ブログとか書かないんだけど、今回はなんとなく記事にしてみました。ちなみにこれに出演していた私の推しというのは染谷俊之さんです。

ダイソンのドライヤーを修理に出したよ

去年のクリスマスプレゼントで友人にもらったダイソンのドライヤー、いつの間にかフィルターカバーが割れていました。使用に支障があるほど出なかったのですが、割れたまま使用してさらに別の故障を招いてしまってはよろしくないと思い、ひとまずお問い合わせしてみました。(ちなみにこういった時に製品登録をしてあると型番やシリアルナンバーや購入日などもすぐにわかりますし2年間のメーカー保証もつくので、ドライヤーに限らずダイソン製品を購入したらまずは製品登録をすることをお勧めします。)

 

問い合わせたのは土曜日の昼間だったので週明けに返信来るかな?くらいな気持ちでいたのですが、なんと2時間弱でご返信をいただけました。その返信で原因と思われる事柄や破損が起きた使用場所を聞かれて、破損箇所の写真をお送りしました。ちなみに原因やタイミングははっきりとわからなかったので、正直にそうお伝えしました。ダイソンの方に写真をご確認いただき、修理が必要とのことで次は集荷の手配です。希望の曜日(平日or土日祝日orピンポイントで曜日指定)と、希望の時間帯、集荷先の住所を聞かれるのでお伝えすると、その希望に沿った中で最短の日程で手配してださりその際に返却予定日も教えてくれます。あちらは返信が早いので営業時間内にぽんぽんやりとりすれば1日で済むと思います。(私は自分が返信遅かったのでお問い合わせ開始から集荷手配完了までで2日間でした)

 

集荷はヤマト運輸さんが送状を貼り付けた状態の箱をヤマトさんが持ってきれます。ちなみに土日祝日を希望しましたが、直近の土曜日で手配していただけました。ダイソンのメールでは「ヤマト運輸様が伝票と箱をお持ちしますので、その場で本体をつめてお渡しください」とのことだったので、その場でバタバタと箱詰めをするのかと思っていたのですが、実際は「1時間後くらいに回収するのでそれまでに箱に詰めて玄関の外に置いておいてください。」と言っていただき、落ち着いて箱詰め作業ができました。これは担当者さんにもよるのかな。箱のサイズは21cm×22cm×37cmくらいの縦長の箱で、ドライヤーに対してはかなり大きめです。心配な人は緩衝材を用意した方がいいかもしれないです。私は本体をプチプチで巻いてから周りをくしゃくしゃの新聞紙で軽く埋めました。箱を閉じるためのガムテープもご自身での用意が必要です。

 

土曜日の午前中に集荷していただき、ダイソンからの発送通知は火曜日、到着は水曜日というスピード感でした。ちなみに事前にお伝えいただいた返却予定日よりは1日早かったです。本体と一緒に「サービスアドバイスノート」という用紙が入っており、そこに検証結果や修理担当者名など色々な情報が書いてあります。今回、フィルターカバーの破損で修理を依頼したわけですが、あちらで点検をしてくださったところ電源ボタンとコールドショットボタンにも不具合があったらしく、該当部品の交換もしてくださっていました。保証期間内だったので、こちらでの費用負担は送料含め特にありませんでした。もし何かしらの費用かかるとすれば、梱包の際に使うガムテープ的なものが自宅にない人は購入した方がいいかな、緩衝材は買うほどじゃないかもしれないけれど。あとは修理に出している間に代替として使うドライヤーを購入する必要がある人もいるのかもしれないですね。私は以前使っていたものを予備として保管していたのでそちらを使いました。

 

以上が、ダイソンの修理対応でした。対応が迅速で丁寧で、さすがでした!有料修理になると「これくらいならいいか・・・」なんてこともあるでしょうが、保証期間内のうちは少しでも破損や不安な動作があればひとまずお問い合わせした方が良さそうですね。高価なものですから、ちゃんとメンテナンスして末長く使っていきたいものです。

 

 

 


 

裏側矯正・固定式リテーナーの人の歯石対策

私は歯列矯正が完了していまして、固定式のリテーナーを裏側に装着しています。イメージ的には前方の歯8本に裏側矯正が付いているような感じです。矯正器具が付いていると系ようじやフロスが使えないのが悩みの種ですよね。私は歯石が溜まりやすいタイプなので、色々と試して来ました。そこで色々と良い商品に出会えたのでご紹介したいと思います。

まずは日々の歯石対策です。

やわらか歯間ブラシ

私は極細タイプを愛用中です。歯の根元の歯間に通して汚れを絡めとります。ゴムタイプなので歯茎に当たっても刺激がほとんどないのでストレスなく使えます。ぬめり(所謂プラークというものでしょうか)が取れて、歯間がスッキリすることが実感できます。

フロアフロス

指原さんが紹介したことでも有名なフロアフロスですが、これは矯正器具が付いている人には難しい物です。私は奥歯の方の器具が付いていない部分に使用しています。唾液に反応して歯の間で膨張する感じなので、これもまたプラークを絡め取ってくれる感じが気持ち良いです。矯正している方でフロアフロスを試したいという方には補助ツールを使用することにより使うことができます。また、フロアフロスではないですが矯正用フロスというものもあるのでそういったものを使うのも良いかもしれません。

 しかし日々のお手入れをしていても、ふと気づくと歯石はついてしまっているものです。そういう時にはもちろんクリニックに行くのが一番ですが、私はセルフでも歯石除去をしています。

歯石とり

アナログな方法ではありますが、これを使用してとります。歯や歯茎を傷つけないように注意しながら使用しましょう。

デンタルミラー

歯石とりの補助として、鏡で歯の裏側を見るのは難しいのでこういった鏡を使いながらやるとすごくやりやすいです。

セルフの除去では歯科医師さんや歯科衛生士さんがやってくれるような仕上がりは求めず、あくまで歯や歯茎を傷つけないよう無理のない範囲で行いましょう。

 以上が固定式リテーナーが付いている私の歯石対策、セルフ除去方法です。矯正中の人や固定式リテーナーを使用している方の参考になれば嬉しいです。

 

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サンバリア100を修理に出してみた

サンバリア100という日傘をかれこれ7年ほど愛用しています。一般的な日傘は紫外線吸収剤や紫外線反射剤などを使用しているため2~3年で効果が落ちると言われていますが、サンバリア100は生地の構造自体で日光を遮断するため経年により効果が落ちるということはないそうで、私は洗ったりアイロンかけたりしてちょくちょくお手入れをしながら(それでも少し汚れてきてしまったけど…)この7年間1度も買い替えずに1本のサンバリア100を使い続けています。
ところが今年の梅雨明け直後、いつものように日傘を開くと受け骨と下ろくろの接着が外れてしまいました。辛うじて使用可能ではありましたが、壊れたまま使うと更なる故障に繋がりかねないと思い、初めて修理に出すことに。7年も使ったし買い替えも検討したのですが、とてもお気に入りのデザイン(現在は廃盤)なので修理して使い続けられるならそれが一番うれしいな、と。

 

修理依頼の入力フォームから申し込みをすると、自動返信で受付番号などが記載されたメールが来ます。受付番号と氏名を明記したメモを添えて、メーカーに該当の日傘を送りました。私の場合は保証期間を過ぎているので有償修理で送料も自己負担です。傘の梱包をするのは初めてで戸惑いましたが、緩衝材をぐるぐる巻いてダンボールをカスタムして梱包し発送しました。メーカーの方から到着や修理完了予定などの連絡は特に来ません。申込時の自動返信の次に連絡が来るのは修理完了・発送のお知らせです。私の場合は有償修理なので、その際に代金引換の金額も知らせていただけました。公式ホームページの「修理・保証について」という項目に諸々詳しく書いてありますが、ちらが故障と認識して申し込んだ点以外にもメーカーの方で状態を見て何か問題があれば直してくださるそうなので、このメールがくるまでは修理代がいくらになるのかはわかりません(上限金額が設けられているので法外な金額になるような心配はないです)。今回の私の修理は「2,000円(修理代)+700円(返送時の一律送料)」でした。代金引換手数料はメーカーが負担してくださっているので、メールでお知らせいただいた金額の現金を用意しておけば大丈夫です。送る際の送料を合わせても5,000円以下で済んだので、買い替えるよりずっと安いしこれでまたしばらく使えそうなので納得の金額でした。修理費の内訳明細や送り状などは同封されず傘だけが返却されてくる形なので、申し込み時に指摘した箇所以外にも何か直していただけているのどうかなどどんな修理をしてくださったのかはわかりませんでしたが、出来栄えにも満足です。

かかった期間ですが、今回の私の場合は申し込み(その日のうちに発送)から手元に戻ってくるまで10日間程度でした。日傘が必要な時期なので、迅速にご対応いただけてとっても助かりました。ただし、公式サイトには「修理期間は約2週間~3週間」「(日差しが強くなる時期)混雑している場合は約1ヶ月かかる場合もある」という旨の記載があるため、こればかりはタイミング次第のようです。すぐに必要な場合は買い替えの検討・返却までの間に使用する予備の日傘を用意するなどしたほうが良いかもしれません。

サンバリア100は日傘の中ではお高いお値段の部類かと思うのですが、効果が落ちるのを気にしながら安い日傘をコロコロ買い替えるよりも、高くても1本買って修理しながら長く使える方がずっとコスパが良いと感じています。お気に入りの日傘を安心して長く使えるのは嬉しいことですよね。これからも愛用したいと思います。

神様が見ている

「周りの人の目を気にすることはない。しかし空から神様が見ている。その神様の目を意識して行動しなさい。」

これは大学の教育学の授業で先生が言っていた言葉であり、私の大学生活の中で強く印象に残っている言葉のうちの一つです。私は信仰している宗教が特にないため"神様が見ている"という表現は正直なところピンと来ませんが、私にとってその”神様の目”にあたるものは何かというと「自分はこうありたい」という信念だと思います。そしてその信念を保つためのモチベーションは、妙なことに思われるかもしれませんが「過去に私を好きになってくれた人の存在」なのです。

過去に自分を好きになってくれた人の存在。それは過去にお付き合いした人だったり、気持ちに応えることは出来なかったけど勇気を出して告白してくれた人だったり、あるいは「あの頃、実は好きだった」とあとになってから伝えてくれた人だったりと色んな場合を含めてです。勿論、そういった人達と実際に再会する機会を望むわけではありませんし、時を経てまた私を好きになって欲しいだなんて思っているわけでもありません。実際の彼らの目を意識しているわけではないんです。ただ、「もし現在の自分を彼らに知られることがあっても、その人達の思い出を汚さない自分でありたい」「もし街ですれ違ったりバッタリ会うことがあっても”やっぱり良いな””好きになって良かったな”と思ってもらえる自分でありたい」というある種の指標というか、そういう基準を以って自分を律するというだけのことです。もし本当にそういうシチュエーションになった時に彼らが実際どう思うかは関係なくて、あくまで「自分はこうありたい」という信念をそこに当てはめてモチベーションにしているというだけのこと。これが私の信念をもとにした仮想の"神の目"なのです。

「”これから出会う好きな人"に恥じることない自分で居たい」という気持ちが”神の目”だったこともあります。「好きになった人に対して隠したくなるような過去は作らない」と。そして今も、現在の”好きな人”である恋人に言えないようなことはしないというのは、あらゆる選択をする上で大切にしていることですし大前提です。しかし今の自分を愛してくれている人というのは(恋愛関係に限らずですが)「ありのままの自分」を受けれてくれている存在であるが故、良くも悪くも甘えが生じる部分もあるんですよね。「理想の自分」を目指して自分を律するというには適さない部分があるんです。それに対して「過去の恋」というのは記憶の中で美化されがちですよね。その「美化された自分」を想像してそれを基準にすることで、より高い基準で自分を律することが出来ていると思うのです。

そういう訳で、決して現在の恋人の存在や側にいてくれる大切な人達を差し置いて過去に寄せられた好意を想っているということではないのですよ。

あらためて「周りの人の目を気にすることはない。しかし空から神様が見ている。その神様の目を意識して行動しなさい。」と言う言葉、私にとって宝物のうちの一つだなと思います。熱心なキリスト教信者である先生ならではの言葉ですが、これに限らず大学で学んだそういった宗教的な要素を含む考え(キリスト教以外でも)は、自分なりに噛み砕いてみると共感することや学ぶこと、そして救われることも多くありました。

周りの目を気にして怯えたり落ち込んだり諦めたりすることなく、心から自分を肯定出来るような生き方をしたいですよね。

いじめには被害者に原因がある時だってある

「いじめられる方にも原因がある」というと、被害者側を責めていじめを肯定しているような印象を抱く人もいるようで「そんなことはない!」と否定する人は多い。しかしこれは良い意味でも悪い意味でもなくただシンプルに「いじめの発生に至るまでに何かしらの原因があり、そこには被害者の持つ何かしらの性質が含まれる場合もある」というただそれだけのことだ。決していじめを肯定したり被害者を責めるような意図は含まれていない。

 

確かに「いじめられる側には何の原因もない」というのはいじめられる側に寄り添う優しさのある正義的な言葉だ。しかし同時にいじめを少しでも減らすための正しい分析とはいえないとも思う。
例えばすごく優れた才能がある子が僻みでいじめられたりするのも、それは「被害者の才能」が原因の1つと言える。僻みとはまた別の方向で、その才能が周囲には理解しがたく異様に映ることからくる異物を排除するような形で起こるいじめもまたそうだ。これは被害者が”悪い”わけではないけれど原因は被害者側の持つ性質というわけだ。「親が○○だから」とか直接的に本人によるものではない置かれた環境などについてもそう。悪くはないけど本人が持つ性質や背景が”原因”となっているのだ。

また、これはさらに「被害者も悪い」という主張だと誤解されがちな例になるけれど、例えば友達の物を盗む癖がある子がいたとして、それが疎まれて周囲の友人から距離をとられるうちにそれがエスカレートしてイジメになったとする。イジメになった時点で"イジメ"の加害者と被害者の立場は100パーセント明確だけど、原因は「被害者が物を盗む癖があったこと」ではないだろうか。物を盗んでからといって「いじめていい理由」にはならないけれど、いじめの被害者になることでそれは帳消しになるのか?そんなことはないはず、確かに盗み癖が"原因"であるはずだ。

このように、いじめの原因となりうる性質を被害者側が持っていることは多くあるケースだと思う。(※重ねていうが「だからいじめられる方が悪い」と言うことではない。)そしてその”原因となりうる性質”と対峙した時に、いじめることしかできない加害者側の人間的な未熟さや攻撃性などもまた多くのいじめの主たる”原因”の一つである。


殺人や窃盗が無くならないように、今後もいじめはゼロにはならないだろう。それでも、正しく分析して教育することで防げるいじめもあると思う。そのためにも「いじめにおいて、被害者には一切原因はない」の一点張りで思考を停止してはいけない。それではイジメが起こってから加害者を叩き潰すだけの正義ごっこを繰り返すだけだ。子供がいじめの原因となりうる性質を持ち合わせている時にどう自衛させるのかあるいは周囲がどう守るのか、また、”原因”に対峙した子供達がその人をいじめなく済むよう教育するにはどうすべきか?などを考えるためにも「いじめには双方に原因がある可能性がある」と考えるべきだと私は思っている。

(※何度も言うけれど、原因が被害者側にあったとしてもそれはいじめを肯定することにはならないし、被害者側が持つ原因要素=いじめにおける被害者の落ち度と言うことではない)

 

余談だけれど、私の大学の恩師は、こう教えてくれた。「自分でこれだと思えるもので実力と自信をつけてください。実力のある人は、人をいじめたり、威張ったりしなくて済みます」と。そして先生自身も彼女の優秀さに嫉妬した同僚や上司からいじめを受けた経験があり、それについて「最初の頃は落ち込んでいたけれど、自分をいじめる人は実力をつけていない人だと気づいたし、何より自分の勉強を進めるうちに、傷つかなくなっていった」とも。それが全てのケースに当てはまるわけではないけれど、自分自身もそれを意識して生きていきたいし、いつか子供を育てる機会があればこれを意識して、人をいじめなくて済む人間に育てたいと思う。