友人「(業務上の話で)~していいですか?」相手(意中の相手)「うーん…今回は特別にいいですよ」
倉敷で縫製までされたはずのデニムパンツがMADE IN CHINAだった話
最近、ánuansのデニムパンツを購入しました。
普段はスカートを履くことが殆どでパンツ(っていうのがいまだに照れくさくてついズボンと言ってしまう)はEMODAのレギンスと呼んでも違和感がないほどにストレッチがきいたスキニーを1本持っているくらいなものなので、ちゃんとしたデニム生地のものが欲しかったのです。オンラインであれこれ見ていたところ、ánuans(アニュアンス)というブランドで大人っぽくきれい目なスタイルにも合いそうなスリムストレートやボーイズシルエット、ダメージワイドデニムなどが揃っていました。

倉敷ってデニム製品で有名ですよね。私みたいな素人にまでその素晴らしさが認識できることなのかは不明ですが、生地の質や加工だけでなく縫製技術も素晴らしいそう。そんな倉敷の生地で縫製・加工も倉敷で行われているのはすごく魅力的だったのでオンラインショップで購入してみました。
届いて早速履いてみると、脚やお尻がすごく綺麗に見える素敵なデニムパンツでした。これが倉敷のデニム…!しかもマシンウォッシャブル!…と思いながらタグを見てみると「MADE IN CHINA 」。生地が日本製でも最終工程が中国だとそういう表記になるという話は聞いたことがありますが、縫製まで倉敷で行っているものも何らかの工程で中国製になるの…⁉ 私は普段からMADE IN CHINAであることに嫌悪感はない部類の人間なのですが、「倉敷市にて生地、縫製、加工まで施されております」とあればてっきりMADE IN JAPANだと思い込んでいたのでこれには少し驚きました。まあいいか…そういうものなんだなぁ…とも思ったのですが、どうしても「縫製まで日本でしているのにわざわざ中国に送ってどんな工程があるのだろう?タグ付けだけ中国とか?」と気になる気持ちが消えず、面倒なお問い合わせであることは百も承知で購入したオンラインショップにお問い合わせして質問してみました。
お問い合わせ窓口を介して担当の部署にご確認いただいたところ、結論から言うと「倉敷で縫製」という記載は誤りで、実際には中国で縫製が行われていたそうです。オンラインショップの記載からも問い合わせ以降その文言は以下のように修正してくださっていました。

お問い合わせした当初は「倉敷での縫製」ということ自体は虚偽ではないことが前提で、部分的に中国で何かしているのかな?あるいは似ているけど異なる商品が届いてしまっていたのかな?という風に予想していたので、「倉敷で縫製」ということ自体が誤りだったことにはとても驚いたし大変残念に思いました。そんなことがあるなんて思いもしなかった。しかしながら製品自体は気に入っているので、私は返品や返金を求めるようなことはしておらず、そもそもお問い合わせ窓口の方からもとても丁寧な謝罪の言葉があったのみで返品や返金など何らかの対応についてのご案内などは特にありませんでした。
それにしても「(解釈次第で)誤解を招く表現」を通りこして、言い方は悪いけど「虚偽の情報」を出して販売しそれを購入した人が私以外にもおそらく居たであろうにも関わらず、文言修正のお知らせの文書も出さずにオンラインショップの商品紹介文をサイレント修正をするのみで終了していいんだ…⁉という驚きがありました。私以外にもあの文言に魅力を感じて購入し倉敷で縫製されたものという認識のもとで所持している人、いると思うんだけどなぁ。
購入したサイトは長年お世話になっているUSAGI ONLINEなのですが、ánuansというブランドはMASHグループのブランドではなく株式会社DOT ONEという他社のブランドなのですね。eimy istoireとかも運営している会社。私はこの件について「ただ知りたい」でお問い合わせをしただけであってクレームを言いたかったわけではないので私個人に対してこれ以上の対応は特に求めずお問い合わせを終了したけど、誤った情報で商品を紹介し途中でサイレント修正をしたことでDOT ONEさん運営ブランドへの不信感はどうしても拭えなくなってしまいました。引き続き春夏の服を物色しているけれど、ánuans含むDOT ONEさんの取り扱いブランドだと何となく怖くて避けてしまっています。商品は素敵なものだったし、というか商品全般に罪はないし、当該ブランド全部に誤った記載があるわけじゃないことは理解しているし、おそらく今回も故意による記載ではなかったと思うのですが、こういう「企業としての対応の誠実さ」って信頼感に直結するものなんですね…としみじみ感じました。
初デートでサイゼリヤはあり?なし?
SNS上で「初デートでサイゼリヤはあり?なし?」という話が
その中心となっていたのが婚活界隈だった(おそらく20代半ば以上くらい/
これは、支払う金額自体の問題ではなくデートに対する姿勢
私が「なし」と思う理由は、まずサイゼリヤのお店の雰囲気。中高生の集団やファミ
そしてこれだけ「初デートでサイゼはあり?なし?」と定期的に
「ではどんな店がいいのか」
※とりあえず都内でランチ~カフェデート、年収にそこまで大幅な
・双方が行きやすい地点
→自分の家からはアクセス良好だけど相手の家からはアクセス悪い
・予約が可能なお店
→休日の都内はカフェやレストランが満席ということが多くありま
・落ち着いた雰囲気のお店
→メインターゲットを中高生やファミリー層としておらず、大人の
・割り勘は勿論、奢っても奢られても気を遣わないような客単価の
→奢る奢らない問題は置いといて、実際お会計の時の空気が初回はどうなるかわからないですよね。
相手が割勘派なのかどちらかが奢るべき派なのかもわからないし、自らが「ぜひご馳走したい!!」という心境になる可能性もあれば、「自
このあたりを気にしながらお店を選ぶと無難なのではないかと思い
私自身サイゼリヤは大好きで、夫とも交際時~結婚してからもよく普段
(しかしここ数年のサイゼはメニュー変更・メニュー写真とあまり
結局のところ「初デートでのサイゼはナシ!」というのはサイゼリ
互いを知り合う過程を経て良い関係が築いたのちであれば"サイゼ
写真を撮るのが下手すぎる彼
私は自分の容姿に自信がなく、写真に写るのがずっと苦手だった。自分のカメラで撮ったならばまだ気に入らなければ加工するなり消去するなり共有を控えるなりすれば良いけれど、他人のカメラに映るのはすごく不安だった。私はSNSに自分の写真を載せたりするタイプでもないので別に映え写真や盛れてる写真を撮りたいということではないのだが、自分の醜い姿が他人の端末に保存されると思うと不安で仕方なく、カメラを向けられると緊張で顔が強張った。
私の夫はいわゆる「写真を撮るのが下手すぎる彼氏」という部類の人だった。そのわりに彼は私を撮りたがるのだが、普通にスマホを触る時のままの位置と角度で「とりあえず被写体(私)を画面におさめる」という感じで撮るから、謎の余白・中途半端に切れた背景・わざとかと思うくらい短足/顔デカに見える角度で撮るのがデフォルト。容姿に自信がなかった私にとっては、写りが極端に悪い自分の姿が彼の端末にどんどん保存されていくことが大変な苦痛だった。ある時ついに耐えられなくなり「こんなにブスに見えるような角度ばかりで撮られるのは嫌だ。撮るならもう少し綺麗に写す努力をして」と少しきつく伝えた。すると彼は「じゃあもう撮らないよ」とそれ以降パッタリ撮るのをやめた。
彼が私を撮るのをやめてから数年ほど経ち、いつの間にか私の方が彼の写真をよく撮るようになっていた。全然かっこよくない日々の何気ない(むしろ変な)彼の姿が愛しく思えて、写真を撮りたくなる瞬間が増えたからだ。彼はどんな姿の時もカメラに対して身構えず自由に撮らせてくれた。そして時々それらの写真を二人で見返してはその度に大笑いした。
そんな日々の中で、私はふと彼に「もう撮らない」と言わせてしまったことや彼の端末に自分の写真が増えていかないことを勝手ながら寂しく思った。彼もきっと私の"綺麗な姿"を撮ろうとしていたのではなく、"愛しい瞬間"を記録しようと思ってカメラを向けてくれていたのだなと、自分が彼を撮るようになって気が付いたのだ。「撮られるのが嫌だって強く言ってごめん。もうどんな顔でも大丈夫だから好きに撮ってね」と私が伝えると、彼はまた少しずつ私にカメラを向けるようになり、私もそれに対してリラックスして応えられるようになった。どんな表情もどんな角度で撮られた自分も、私たちにとっては楽しくて愛しい瞬間の記録なのだと理解したから。以降の彼が撮る写真は心なしか角度など気にしてくれるようにもなった気がするが、相変わらず変な角度の短足ブスな写真もたくさんある。でもそれでいい。カメラを向けられるたびに顔が強張っていた頃とは違い、私はどんな角度でどんな不格好な時でも幸せそうな表情をしている。彼の端末にそんな自分が記録されていくことがとても嬉しい。
「こんなブスに撮られるのが嫌だ」と感じた当時の自分の気持ちもすごく切実だったし、他人を撮るならば多少なりとも写りを配慮してあげることは必要だと思う。そういった気持ちを正直に伝えたことも含め、その後も交際する中で深い信頼関係を築いてこられた。だからこそ「彼はどんな自分も彼が愛してくれる」ということが確信できて「彼にならどんな自分を撮られても大丈夫」と思えるようになったのだ。こんな関係になれて本当に良かった。これからも他人に見せて自慢できるような映え写真よりも、見返すたびに二人で大笑いできるような写真をどんどん増やしていきたい。
酒飲んだ次の日めちゃくちゃ落ち込む
タイトルの通りです。昔からそうなんです。
この話は酔って失言してしまったとか迷惑かけたとか記憶を無くしたとかそういった所謂”お酒の失敗”による落ち込みの話ではなく、特に失言もせず泥酔して迷惑をかけたわけでもなく楽しく過ごしてバイバイしてきたはずなのにどうして後からこんなに気分が落ち込むのー!?というお話です。必ずしも酒に限らず、アルコールなしで普通にお茶とかご飯に行ってめちゃくちゃ楽しくお話しして帰ってきた時とかにも似たような現象が起こったりするのですが。私以外にもそういう人って結構いるんじゃないのかな。
”飲酒後の落ち込み”について検索をすると自律神経がどうのとか出てくるし確かにそれもそうなのかもしれないのですが、そもそもこれは「テンションが上がって普段とは違う自分を周囲に見せる」という事と自分の自己肯定感の低さの相性が悪いのだろうなと思ったりしています。
私は自己肯定感(最近は”自己肯定感”と”自信”を同じ意味で使うのが流行り?っぽいですが、これは心理学的な意味の方で使ってます)が低い人間で、例えば自己開示へのストレスが異様に大きくなってしまっていて面談などで自分のことを話そうとすると勝手に涙が出てきてしまったりする人間でした。大したこと話しているわけではなくて、普通になんでもない話をしたつもりでも、無自覚なストレスが生理的に表れてしまうんです。学生時代を終えたらあまりそういった機会もないけれど、根底として「自分のことを知られる」ということへの心理的負荷がすごく強い人間なのだと思います。
それを踏まえるとアルコールやその場の雰囲気などで「テンションが上がっていつもと違う面を見せてしまった」という状況は、それもまた意図せぬ自己開示なのですよね。その場ではその自覚がなく楽しく過ごせちゃうけど、帰り道や翌日などに自己開示をしたことによる心理的負荷がドドドっと押し寄せてしまうのかな、なんて考えています。
だからこれは面談の時になぜか出てきてしまう涙と同じく単なる私の性質によるもので、自分の中だけで起こっている問題。実際に自分と相手の間には何も落ち込むべきことや不安になるようなことなど起きていない。大丈夫。私はそう自分に言い聞かせています。
落ち込む原因がわかると少しだけ気持ちが楽じゃないですか?少しだけね。
美容医療は金ドブだよね
数年前にIPL(フォトフェイシャル)を契約しまして、結局これは6回くらいやったのですけど結論から言うと薄いシミは無くなりませんでした。照射後に濃くなって反応するものの、結局元通りくらいの薄さに戻るだけ…と言うのの繰り返しでした。ただ、肌のハリを褒められるようになったりとか「なんとなく肌の調子がいい」みたいなのはあったかもしれないです。ただその「何となくいいかも」に支払うには高額すぎるので(安価なクリニックもありますが)、IPLは正直金ドブだったな、と。
その後、ピコスポットを2回しても結局ダウンタイムが終わると元通り。それから医師の勧めでピコYAGレーザーも試したけど瘡蓋の保護をすごく頑張ったものの結局元通り。そして先日再度ピコスポットを照射しに行った際には毎回しっかり照射してもらっている部分について「あれ?ここらへんは前回は照射してないですか?」と言われるくらい、これまでの照射は本当に変化なしでした。ファンデで隠れる程度の薄いシミたちだからそこまで絶望もないけれどレーザーを照射すれば万事解決なのかと思っていたから、こんなにも効果が出ないのは金ドブすぎて笑えちゃいますね。今もダウンタイム中でちょうど濃くなっている時期ですが、もはや何も期待してないです。ただ色素沈着にならないよう気をつけながら過ごすのみ。
すごく濃くて大きいシミがほんのり薄くなったりとか見るからに広範囲でボッコボコのクレーターが少し軽減されているような症例写真を見るとすごーーく効果があるように見えてしまうけど、自分しか気にしてないレベルの薄いシミとか部分的な小さいクレーターをツルツルの何もないお肌にするのってなかなか無理なことなんだろうな。
肌に関する美容医療は金ドブだなと毎回何かしらやるたびに思うのだけど、本当に無駄だったかと言うとそうでもなくて「これだけお金をかけてこの施術をしたけどこれが限界だった」と言うことがわかると諦めがついて一旦落ち着くので、やらずにモヤモヤするよりはやってみて良かったなとは思います。おすすめもしないですけど。
ところで私は仲の良い友達にこそ美容医療の話をするものの、基本的には人にあまり言いたくなくて今も職場でマスクをしてダウンタイムを隠しています。(ピコYAGの時は顔中テープだらけだったけど、それもどうにかマスクしでかくして乗り切った…!)ただし普通のマスクだと一番シミが多い(=反応してる箇所が多い)目の周りがうまく隠れないんですよね。そこでこのマスク重宝していました。
ちょうど隠したいシミや肝斑ゾーンを覆ってくれる。口元が少し立体的で唇につかないのでリップも落ちない。面積大きい割に不自然な感じもしなくて、何ならフェイスラインはシャープに見える小顔効果。そして比較的息苦しさも感じにくいです。UVカットの効果は如何程のものかわからないけど、レーザーの後って紫外線には特に気をつけたいから「UVカット」と書いてあると何となく安心(日焼け止めも塗りますが!)。とにかくダウンタイムはこれさえあれば安心です。
というかダウンタイムじゃなくてもマスクしなければならないシチュエーションの時にはこれがお気に入り。耳の手前まで覆われていると、シミゾーンが隠れるだけじゃなく摩擦も起きにくいんですよね。私いつも普通のマスクをしていると話したりとか表情筋を動かすたびにマスクの端が擦れて肌が荒れてしまっていたんですけどこのマスクはそれがなくて本当に快適。超おすすめです。
ちなみに「諦めがついた」とか「何となく調子がいい」とかじゃなく、しっかりと効果を感じて心からやって良かったと思える&人にも勧められるのは医療脱毛と歯の矯正くらいだな。それでもまた今日も今日とて美容皮膚科のメニューと睨めっこしてしまう自分がいます。また金をドブに捨てたらご報告しますね。
恋人を「相方」と呼ぶことがなぜ気持ち悪いのか
人前で恋人のことを話すとき、恋人を「相方」とか「相方さん」と呼ぶのって何だか気持ち悪いな、ということは昔からぼんやりと思っていた。明確に嫌な理由が浮かぶわけじゃないんだけど、その気持ち悪さは昔から感じていた。
先日、そんな場面にテレビで遭遇した。某番組でみちょぱの彼氏の大倉士門さんが話し始めたときだった。特にみちょぱの名前を出すわけでもなく、彼が突然「相方が」と話し始めたものだから、周囲の芸人さんは一瞬だけ不思議な空気になってから(あ、彼女の話ね)と理解したようだった。芸人さんの中で「相方」といえばコンビの相方が浮かだろうから当然だ。彼はその空気を気に留めることなく「相方」を連呼して話が終わった。
恋人を「相方」呼びすることの何が気持ち悪いのだろうと改めて考えてみる。例えば本人同士が「私達は”恋人”というよりも”相方”とか”相棒”と表現するほうがしっくりくるような関係性だよね」と思っていたとしたら、それは理解できる。だけどそれを他人に向かって「相方が」と話すと途端に気持ち悪い。その気持ち悪さって「恋愛関係を直接的に表現していない」という点だと思う。直接的な表現はしないけれど、それは恋愛関係を隠したくてボカしているわけではなく、明確に「恋人の話をしている」ということを伝えたいのにそういう表現をしている。それが気持ち悪い。例えるならば官能小説。官能小説では性描写をするときに直接的な単語をあまり使わず、あらゆる言い回しや比喩表現を駆使してそれを表現する。そしてそれが想像力を働かせ、直接的な表現よりもずっと生々しく卑猥に感じられたりする。「相方」という表現もそれと似たような感じがあって、直接的な表現を避けるからこそ生まれる言葉の生々しさがあると思う。「恋人」「彼氏・彼女」と言われればそれは一般的な表現として深く考えることもなく通り過ぎるけれど、「相方」という表現されることにより私達は脳内で(相方って恋人のことか)と脳内で言葉を変換したり、あるいは(恋人のことを相方と呼ぶ人なのか)などと二人の関係性や言葉の背景を想像したりと、馴染みのない表現を理解するために無意識のうちにその単語に意識がむく。こうして、直接表現を避けることによって逆に二人の関係をリアルに意識させて強調するようなことになってしまう。
そんなわけで、二人の間で「”相方”という言い方がしっくりくる」という関係性も理解できるし、あるいは「恋愛の話とかするのって柄じゃなくて恥ずかしいからつい”相方”とか言っちゃう」みたいなのもあると思うけれど、むしろそういう人たちこそ人前で話をする時は「彼氏・彼女」などはっきり伝わる表現を使うことをお勧めしたい。一般的かつ直接的な表現を使えば周囲はそこまでその言葉に注意が向かないから、さらっと流れる。「相方」とか言われた方が逆にその言葉に注意がいってしまって生々しくなるんですよ、みんなサラッと流している風にしていても。
あと「相方さんが〜」とかわざと不明確な言い方することで「え、もしかして彼氏!?」って言われたい感じの人はシンプルに面倒です!!!!