女子校育ちの私が考えるジェンダーフリー

 近年、社会的な扱いや恋愛・結婚など様々な面で性別についての問題が取り上げられることが多くなったように思います。私は中学から大学まで女子校育ちなこともあり、女性が社会で生きていくにはどんな差別や困難があるか、そして今後どういう社会になるべきかという題材が授業で取り扱われる機会が多く、その問題に度々向き合ってきました。そのため、性別についてのあらゆる問題は自分にとって身近なものとして大変興味があり、関連する記事を見かけると読んでみることにしています。 

 

 まず「ジェンダー」とは、社会的な性区分のことを言います。誤解されがちですが、ジェンダーフリージェンダーレスというのは生物学的な性別を否定するものではありません。社会的な性区分とは、簡単に言うと「男の子は戦隊ごっこ、女の子はおままごと」のように、身体的な性別と関係がない部分で決めつけられた「男らしさ」「女らしさ」というようなものです。個人の性質を無視して勝手に決めつけられた「性別らしさ」から解放されて、「性別らしく」ではなく「自分らしく」生きられる世界を目指しましょうというのがジェンダーフリージェンダーレスという考え方です。

 女子校という、まさに性別で括られた環境に身を置いていてこれをいうのは不思議に感じる方も多いかもしれませんが、女性だけの世界にいると「性別」「性差」というものを意識する機会がとても少ないです。そこに存在する”格好いい”も”可愛い”も”か弱い”も”力強い”も全て身体的な性別が女性であることが大前提なので、それらは「性別らしさ」ではなく「個性」として捉えやすいのです。女だけで構成された世界に「女だからやる・できる」「女だからやらない・できない」というような発想は殆どありませんでした。これは”女子校だから”というだけではなくて校風や学年カラーもあると思いますが、少なくとも私はずっとジェンダーに縛られることが殆どない環境に身を置いていたのでした。

 

 昨今、綺麗な顔をした細身の男の子を「ジェンダーレス男子」と呼んだりボーイッシュな女性モデルさんを「ジェンダーレスモデル」と呼んだりだとか「ジェンダーレス」を売り文句にしてメディアが持て囃す傾向にありますが、私はそれがジェンダーフリーな社会を遠ざけているように見えてなりません。その「ジェンダーレス」というカテゴリ名が「男っぽくない男子」「男性っぽい女性」という意味合いで使われていることが明らかだし、世間の「こんなの可愛いのに男の子!?」「このイケメンが女性なの!?」というジェンダーありきのリアクションを狙うような演出をされているからです。

 ジェンダーレスとは「可愛くなりたい男子」「かっこよくなりたい女子」だけが当てはまることではありません。そしてジェンダーレスというのは「私はジェンダーレスです」とカミングアウトするような特別なことではなく、全ての人が持つべき考え方です。これは全員が中性的なファッションをしろということではありません。ヒラヒラしたお洋服が好きな可愛い女性も、短髪で髭を生やした格好いい男性も、それが社会的な性区分による「女らしさ」「男らしさ」ではなく「自分らしさ」と捉えられるようになれば良いということです。それがジェンダーレス、ジェンダーフリーだと思います。見た目の系統で「ジェンダーレス男子」とカテゴライズするのは、ジェンダーという言葉が間違った意味あいで広まることにつながると思うので私はあまりよくないと思っています。

 

 ジェンダーフリーな考え方が定着すれば、様々な性別問題が解決・軽減すると思います。自分を性的マイノリティーだと認識している人の中には、ジェンダーありきでそう考える人も多く存在していると思いますが、ジェンダーフリーが当たり前になれば身体的な性別は単なる「身体の種類」でしかなくなるからです。性別は自身のファッションや趣味嗜好には関わりがないものだと言うことが明確になりますし、身体的性別と社会的性別の不一致が解消されれば「(身体的、即ち戸籍上の)性別」を表す言葉に過敏に反応せずに済んだり、自分の性別に対する違和感がなくなる人も多いと思います。色々な個性を持つ人たちがそれぞれ「ジェンダーレス〜」だとか特別な名称をつけられたりせず、良くも悪くも特別視されることなく、当たり前にそこに存在できる社会になるといいですよね。

 

余談ですが、私はジェンダーフリーが定着しても性別という区分やその表現を排除する必要はないと思っています。ジェンダーフリーを主張する人の中にはそもそも「性別」と言うもの自体をなくそうとするような考え方もいますが、私はそうではありません。ジェンダーから解放されても、身体的な性差は確かに存在するからです(厳密にいうと男女の二択ではなくグラデーション的な存在がありますがそれも含め身体は一種類ではないという意味で)。多様性や性差別をしないというところを意識しすぎるあまり、性別についての表現が不自由になるのは本末転倒だと思うんです。言葉狩りをして性別に関する表現を避けるのではなくて、身体的な性別をジェンダーとしっかり切り離してフラットに考えられるようになれば、性別の表現で傷つく人が減るのではないかと思います。