「死にたい」をどこかで吐き出してみること

今更ながら『12人の死にたい子どもたち』を観てきた。(※映画の内容のネタバレあるので嫌な方は読まないでくださいね。) 

予告やポスターなどをチラッと見て、てっきり「自殺願望のある未成年が集団自殺のために集まるも、集合した部屋では既に何者かに殺されたと思しき死体があり、"この中に殺人犯が混ざってる?"”自殺したいけど殺されるのは嫌!”と疑心暗鬼な探り合い潰し合いのバトロワ展開」みたいな物騒な展開を想像していたのですが。ていうかそういうのを想像させるような宣伝の仕方をしていたよね?ところが「どこで血みどろ展開に!?」「くるか?今か!?」「最後くるか!?」と構えているうちに普通に平和に終わってしまって、上映後のシアターの空気も「え…???」「イイハナシダッタネー(棒)」という空気が流れておりました。

鑑賞後にあらためてホームページをみてみたら「厚生労働省の自殺防止ポスターとタイアップ」とか書いてあるのよね。…なるほどね。

 

ちなみにタイトルで気付けば良かったのですが、こちらの作品のパロディです。

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そんな感じで、予告に釣られてバトロワ展開を想像していた人たちからすると「俺たちはこんなイイハナシを観に来たんじゃねえ…」という感じだし、逆に予告を見て「出演者は好きだけど怖そうだから観れない…」とか思ってた人は観ても平気だったんじゃない?みたいな、なんとも勿体ない予告編詐欺だと思う。インパクトがあればいいってもんじゃない。だけど、まあこういう映画だったんだなってことを受けてあらためてこれはこれで良い作品だったと思ったりもしたので、この作品を通じて考えた「未成年の自殺」についての考えを記そうと思う。

 

まさに今朝にも「小学生が2人で飛び降り自殺」というニュースを見たばかりなのだけれど。未成年の頃ってすごく不安定で、「死にたい」という答えが出てしまいやすいと思う。私も昔はつらいことがあると「自殺したら楽になれるかな?」「死にたいな」「はいはい、私が死ねばいいんでしょ?」だとか本気で思うことが何度もあった。今思えばその思考は軽率だけれど、その時は本当に苦悩を抱えていたし自分なりに本気だった。自らの「死」が何かを伝えるあるいは何かを変えてくれるようなすごく大きな意味を持つ方法のように思えていたのかもしれないし、単なるリセットボタンみたいな感覚だったかもしれない。悲劇的に散ることがドラマチックで美しい結末のように思っていたのかもしれないし…なんにせよ「死にたい」だとか「自殺」だとかいう発想につながるハードルは大人になった今よりも低かったとともに「死」が成す結果を過信していたようにも思う。そしてそれを思うタイミングと勢い次第では、私だって自殺を選んでいたかもしれない。今でさえも「死」は未知のものであってそれがどんなものなのか説明するのは困難だけれど、当時は本当に全く理解していなかったからこそ、そうだったと思う。

 

登場人物の多くは「死」を以ってなにかを成そうとしていた。自分の「死」に対して単に「命が絶える」ということ以外の現象を期待していた。そこから互いに死にたい理由を話し合うことによって「果たしてそれは"死"を以ってなせることなのだろうか?」「生きてこそ成せることなのでは?」ということに気付いたり、自分以外の参加者に対して「助けてあげたい」「生きてほしい」という気持ちを抱くことになる。

伝えたいことは生きて伝えるしかない。解決したいことは生きて解決するしかない。嫌な奴らにとってはこちらの「死」なんて"ちょっとした誤算"程度にしかならない。…彼らが集団自殺を中止したのは、自分が命を捧げても自分たちが思うようなことは成し遂げられないことに気づいたからなのだと思う。命は確かに重い、重く扱われるべきだけれど、軽く扱われてしまうことだって多くあるのが現実だから。

この映画を観た「死にたい」と思ってしまう若い子たちが、「自分が“死”をもって成し遂げようとしてることは本当に"死”をもってなせるのか?」と考え直すきっかけになるならすごく素敵だなぁ。願わくば、映画の人物たちと自分を重ねて見るだけでなくきちんと自分自身の気持ちもどこかに吐露して、少しでも前を向くことができたら。

ただし、こういう話って話す相手を間違えると悪戯に煽られたり自分の苦悩に酔ってしまって負の方向に飲まれるから、やっぱりそういうのは自殺防止ダイヤルとか心の相談室的なところにかけるのすごく有効だと思う。知らない人だからこそ話せる部分ってあるし、そのほうがフラットな状態で何も気にせず出し切れるだろうし、相手は話を聞くことに特化しているしね。

 

でもまあ、実際にこの映画のこういうメッセージ性が響くのは「自分の命には価値がある(と信じたい)からこそ死にたい」とか「自分の死による結果に希望がある」という…自己肯定感がある・あるいは自分の命は重いという認識が根底にあるタイプだけで、いわゆる鬱状態のような…どんなことを考えても結論が「自分には価値がなく、自分さえいなければ良い」に着地しちゃうような心理状態の人(大人の自殺はこちらの割合が多そう)には全く響かない話でしょうね。…そういう人は映画を見てとかそういうことより適切な治療が必要だからね。

 

調べてみたら原作はまた少し設定が違うようなので、原作も読んでみようと思います。

原作はこちら

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