ロリータ服って可愛いよね

ロリータモデルの青木美沙子さんの記事『私がロリータであることを伏せて「出会い系アプリ」を使った理由』

gendai.ismedia.jp

が少し話題になっていた。

「男ウケのためにロリータやめるなんて無理!自分をつらぬく!結婚して子供を産むことも、好きな事を仕事にしてそれを貫くことも同様に尊い!」というのはすごくわかる(私も男ウケより自分ウケ派だし、ロリータ服も好きなので)けど、「自分を貫く」というところで無暗に尖って攻撃的になってしまうのは勿体ないな、と彼女のコラムを読んでいて思った。

 この記事で紹介されていた「自分がロリータ服を着ていることを伏せた状態で出会い系アプリで人とやりとりし、初対面の日にロリータ服で登場したらドン引きされて嫌な反応をされた」というの、これは青木さんも少し意地悪だと思う。そんなの、わざと引かれるような状況を作ったとしか思えない。たしかに「ナース」というのも嘘ではないけれど、お互いの姿を知らない状態で出会うからこそ、驚かせてしまうであることが予測できる特徴は伝えるべきだったんじゃないかな。それは別にロリータに限ったことじゃない。逆の立場で考えても、私だって「30代・医師」とか「30代・教員」とかそういう情報で、出会ってみたら金髪でピアスだらけのお兄さんが来たらびっくりするし上手く反応できないかもしれない。でも事前に「プロフィールも本当なんですけど、見た目はこうなんです。」って言われていたら「そういう人もいるんだ!へえ!おもしろ!」と思うし、会った時も和やかに「ほんとだ!プロフィールとはイメージが違うけど、似合いますね~!」って反応できる気がする。

青木さんは、ロリータ服に偏見がある人は勿論だけどそうでなくても驚かせてしまうようなやり方を敢えてとって「ほらね、ロリータってこういう反応される!」と卑屈になってしまっているような気がした。相手の反応が失礼なのも事実だけれど、彼女の方だって最初から真剣に相手に向き合って出会う気なんてなくて、そういう反応を確かめるために敢えてそういう出会い方をしただけでしょう…出会い系で真剣に相手を探している人達に対してすごく不誠実だと思う。

 

彼女の過去のコラムを読んでみると、ロリータを説明するために「ロリータとロリコンとは違うんです!」とロリコンを非難する言い方をしたり(私個人としてはロリコンという性的嗜好を持つこと自体は蔑まれるべきことではなく、非難されるべきなのはそこから犯罪に行動をうつしてしまう人のみだと思うので、なんだか違和感があった)、「ロリータとぶりっことは違うんです」とぶりっこを蔑む言い方をしたりと、ロリータ代表としてロリータを説明するにしてはずいぶん攻撃的な気がした。ロリータの魅力を説明するのに他者を非難することは必要なのですか…?と疑問に思ってしまう。ロリータファッションが色々な方向で誤解されがちで不快な思いをしているのだろうが、「あれと一緒にしないで」「あんな奴らとは違うの!」という言い方では誤解は解けても魅力は伝わらず、閉鎖的な世界として"異物"のままになってしまうのではないか。それよりも「こんな素敵なことがある」「ロリータ界のこんな文化にはこんな意味がある」など魅力を紹介していくうちに自然と誤解を解くの方が有効な広め方と言える気がする。

 

ロリータ服って、街を歩くだけで指をさされたり勝手にカメラむけられたり笑われたりするし、男ウケなんか興味ないのに「男ウケ悪いよ」なんて謎に上から目線なアドバイス受けたりするし、「ゴスロリ」とか「コスプレ」という正しくない括られ方をしたり、青木さんも嫌な思いをたくさんしてきてると思う。だからこそ棘のある言い方になってしまうのもわかるのだけれど、それでも「自分を貫く」というのならば、誤解されてることへの不満をとげとげしく語るよりも、楽しく魅力を語ってほしいと思った。