既婚者や子持ちの人に見下されるの意味不明だし不快ですって話

 「適齢期になったら結婚をして子どもを産むのが当たり前」という価値観を持つ人はいまだに多い。私もそう思っていたから、子供の頃は「結婚したら子供が"産まれる"」という表現を使っていた。将来の夢がサッカー選手であろうがケーキ屋さんであろうがセーラームーンであろうが、その結末は誰しもが素敵な人と結婚して子供が産まれるものと思っていたくらいに自然に染みついていた価値観だった。しかし、実際には結婚を「しない」「できない」「産まない」「産めない」様々な人生があって、そこにはそれぞれの幸せや苦悩があるはず。ずっと独身であることや子供を産まないことで不快な言葉を投げつけられることは多々あるけれど、どんな選択だって否定されるべきことではないし蔑まれることでもないと思っている。そんなことを私(アラサー・未婚・子なし)の視点で綴って行こうと思う。

 

 以前、女優の山口智子さんが子供を産まないという選択をしたことについてインタビューで答えていたことがあった。不妊などの理由からではなく自らの意思で子供を産まないという選択をし(理由等はここでは割愛しますが)その決断に後悔はないという旨を語っていた。その記事に対してネット上ではなんと「産みたかったのに産めなかったってちゃんと言えばいいのに」だとかいう頓珍漢な反応をしている人が何人もいたのだった。そこで初めて、こんな風に独身者や子供がいない人を無条件に蔑む人が居ることを知った。ネット上で沸き立つあらゆる議論を眺めていても、子供だとか結婚だとか全く関係のない話題の時までも「結婚して子供を産めばわかりますよ」だとか「そんなこと言うなんて、もしかして独身ですか?」「あの人、子供居ないからね…」などと言い出して、それらを経験していない人を未熟な人間かのように蔑む人達は多く存在するようだった。

 独身や子供を持たないことを否定する既婚・子持ちの人達は、私が子供の頃にそう考えていたように、誰しも辿り着くべき正しい道は「結婚して子供を産む」という道であることを前提に生きている(或いはそう思いたい)のだろう。そしてある程度の年齢になってそれをしていない人は「できない人」即ち「自分よりも劣っている人」なのだとも。

 

 しかし、私は入籍するもしないも出産するもしないもそこに優劣はないと思っている。自らの希望でそれらを選んだ人は勿論、したいのに出来ない人や仕方なくした人も含めてそこに優劣はないと。

 私自身はというと、現時点では未婚で子供もいない。結婚を考えながらお付き合いしている彼が居るので、互いに急いでは居ないけれど入籍はすると思う。彼と付き合い始めて「彼と一緒に暮らして将来も一緒に居たい」という気持ちがわいたので、彼がそれを結婚という形で叶えてくれるのなら是非そうしたいと思ったのだ。けれどもしそう思える相手が居なかったのなら「結婚するために相手を探す」ということはせず、独身で生涯を終えるためのプランを考えていただろう。実際、彼に出会うまでは一人でいることを想定して生きていたし。

 出産に関してはまだ未定。「もしも子供が産まれたら…」という素敵な想像はするけれど、それはいつだって心身ともに健康な子供であることが前提であり、「もし重い障害や持病をもって生まれてきたら?」と考えると想像できない。子供が好きだからとか可愛いからとか愛の証だとかそんな私たちの勝手な気持ちで命を産みだして、ずっと子供に大変な思いをさせてしまったらどう責任をとるのか…?と思うと、簡単に「子供を作ろう」とは思えないのだ。そしてこれはよく語られる理由ではあると思うけれど、今は彼と二人で居る時間がすごく大切で幸せなので、「子供が居るのも素敵」だが「子供が居た方が素敵」とも思っていないのだ。これらは現時点で一致している二人の考えで、色々と理由を並べたけれど結局のところ私たちの性格上は躊躇する点が多く、結論として「『絶対欲しい』と思わない限りは作らない」ということで落ち着いている。この考え方は他人に推奨したいわけではなく、あくまで私たち二人の場合は性格上こういう選択がベターだというだけである。

 

 時々、既婚・子持ちの人達から結婚や出産を急かされることがある。私がまだそれらをしない理由を問われて前述のような理由を述べると、大抵は「結婚してもお互いの趣味は続けられるよ!」「子供がいたって夫婦の時間もあるしデートもできるよ!」「結婚・出産したら大切なものが増えるだけ!二人の関係は変わらないよ!」「子供は親を選んで産まれてくるから、育てられない子供は産まれないよ!」などと、私が独身でいることや子供を産まない理由を打ち消し、結婚・出産を無責任に強く勧められる。彼女たちが現在幸せだというのも嘘ではないのだろうけれど、なんだか「私は何も失っていない!私の方が幸せ!」と自分に言い聞かせるかのような必死さや、「自分とは別の形の幸せがある」ということを認めたくない頑なさを感じてしまう。

どちらにも良い面や悪い面があると思うし、それぞれ得るものも失うものもあると思う。そしてそれらの感じ方も人それぞれ。彼女らが「旦那・子供がいる生活が幸せ」というのも「あなた達の場合はそうなのね」という話であり、私がそれらをせずに幸せなのも「私の場合は」なのだ。それぞれの幸せや環境が互いに当てはまるわけではない。各々が自分で選択して生きているのだから、それで良いではないか。…とはいえ、自分と異なる選択を否定したくなるのはわかるけれど。例えば自分が子育てでてんてこまいの時に独身の友人が綺麗に着飾って自由に遊んでいるのを見たらモヤモヤする瞬間があると思うし、逆に自分が独身でもう子供産むのも難しいなっていう歳になった頃にふと楽しそうな家族連れを見かけてモヤモヤすることだってきっとあると思うから。それでも、自分の人生を肯定するために、自分とは別の選択をした人間を否定すべきではない。

 

 私は中学から大学まで女子校だったこともあり、「女性の自立」「ジェンダー」などの授業で性や生き方の多様性について幾度も触れていたので、ありがたいことに「結婚すべき」「出産すべき」というような固定概念から解放され、他のあらゆる選択肢の例を提示してもらえる機会は多かったように思う。また、ほとんどの友人が高校卒業後は4年制以上の大学に進学して就職をするという進路だったからか結婚・出産ラッシュも比較的ゆっくりめな方で(むしろ出産はまだそんなに多くない)、若くして周囲の結婚や出産ラッシュに焦る環境でもなく、「みんなそうだから」と流されることなくゆっくりと自分の今後を考える時間があった。そして男性は特に「子供をつくらないなら結婚するメリットがない」というような考え方をする人も多いように感じるけれど、そんな中、「子供はどちらでも良いけど、結婚したい」と言ってくれる彼と出会えたことも、私は幸運だったと思う。

これからのことはわからない。彼と結婚しないかもしれないし、子供が絶対に欲しいと思う時がくるかもしれない。だけど、その都度きちんと自分にとってのベストな選択をしていきたいし、いつでも自分の選択に自信を持って生きたいと思う。