さよなら、下北沢。

下北沢はそれなりに好きな街だった。"下北沢で遊ぶ"というようなことはなかったが、ライブハウスや小劇場に行くために度々足を運んでいた。小田急線の古びた駅のホームがとても好きだったし、近代的な高いビルがないのも良かった。ぱっとしないバンドマンや劇団員がたくさん居て、夢を追うことを馬鹿にされない街。胸が熱くなるような青春くさい街。

 

先日、合コンのようなものに参加した。

高校の同級生である友人との予定を済ませた後、「このあとちょっと飲みに行こうよ」とあたかも突発的に思いついたかのように誘われ、連れて行かれた先がそれだったのだ。

 

場所は新宿にある美味しくてお手頃化価格だと評判の居酒屋。 

男性陣は一見「何の集まりだろうか?」と思うような、服装の系統も違うし年齢も違いそうな不思議な人たち。話を聞いてみるとやはり彼らは実際に職業も年齢もバラバラで、内2人は下北沢在住、他も在住ではないものの下北沢がホームで、彼ら曰く「下北沢にいくとこの中の誰かしらと会う」らしかった。

ノリが良い人達だったのでそれなりに盛り上がったが、私は内心居心地の悪さを感じていた。何の話をしていてもすぐに内輪ネタに走る男性陣に笑顔で相槌を打つことにも疲れていたし、音響の良いクラブはどこかという話題の中で「好きな箱はアトム、キャメ、V2」と30歳にもなって恥ずかしげもなく女子大生が行くようなナンパ箱を挙げる女性陣にも言葉を失いそうになっていた。

 

 

終電も近くなった頃、店を出て二次会をする流れになった。彼らは「下北沢で飲もう」と言い出した。

二次会で別の街へ移動するなんて面倒だし、女性陣は下北沢に所縁はなく家からも遠ざかる方向である。何の配慮もない男性陣のその内輪ノリな提案に私は心底うんざりした。しかしすっかり酔って楽しそうな友人の顔をみたら「帰る」とも言い出せず、結局全員で下北沢に向かったのだった。

 

タクシーを降り下北沢の商店街を歩くと、そこらは男女問わず彼らの知り合いだらけで、どこでもそこでも「おー!何してるの?」と立ち話が始まる。

男性に遭遇した場合は、一緒にいる私たちにはほぼノータッチのまま男同士で手短に挨拶をする人が多かったが、女性に遭遇すると揃いもそろって「この女の子達は?()え、なにやってんの?()合コン?()」という"部外者"に対するマウンティングのようなニュアンスも感じる好奇な視線を無遠慮にこちらに向けてきた。そんな彼女達からは「男ばかりの中でも気にせず馴染める!全然気にしない!服もやる気ないし!」とでも言いたげな自称サバサバな女感と、その「全然気にしない」風の見た目からも"メスの匂い"が強く感じられて、とても気持ちが悪かった。ぱっとしない人が醸し出す性の匂いというのは、どうしてこうも生々しく不快なのだろうか。

 

しばらくはこれまた内輪ノリな店で飲んでいたが、1人が「こいつの家で飲もうよ」と言い出したのがきっかけで、結局下北沢在住の男の家で宅飲みをすることになった。途中、男性陣の知り合いのきゃりーぱみゅぱみゅのような風貌の女の子ら2人が「終電逃した」などと言いながら酒缶を片手うろうろしていて、その子らも合流し大所帯で彼の家に向かった。

家主が部屋をあけて電気をつけると、玄関にいる私たちを眠気眼でボーッと見ている男女2人が家の中にいた。家主は平然と「あ、同居人!あとその彼女」と言い、みんなは一瞬唖然としたあと「それを先に言えよ!」と突っ込んで笑った。その同居人カップルも輪に加わりさらに大所帯となった輪は、床に座りきることができず、私を含む数人はベッドの上に腰をかけるしかなかった。先ほどまで恋人同士が寝ていたベッド。ぐしゃぐしゃのシーツの上。私は先ほど商店街を歩いていた時に出会った、性の匂いを強く漂わすガサツそうな女たちの面々を思い出しながら、朝を待った。

 

始発の時間になってもみんなはまだ騒いでいたが、私は1人でその家を出た。まぶしい朝日の中、静まり返った下北沢の商店街を通り抜け、いまだに慣れない小田急線の地下ホームへ向かう。ふとスマホをみると昨晩いつのまにか誰かがつくったグループラインには「ももちゃん、もう電車乗っちゃったの?気が向いたら帰ってきなよ♪まだ飲もうよー」という連絡がきていた。昨晩のお礼と帰らなくてはいけない旨をあたりさわりなく返信し、電車に揺られながらぼんやりと「ここは私のいられる場所ではなかった」と感じていた。あの場で素直に自分らしく振る舞うことは難しく、仮面をつけているような気分だった。たぶん愉快な夜だったのだと思う。もし自分らしく振る舞っても、誰かが嫌な態度をとるようなことはおそらくなかった。しかし、できなかった。誰のせいでもないけど、だからこそどうしようもなかった。あそこは私が生きられない場所なのだ。

 

下北沢はこれから開発されてどんどん都会的な景観になっていくようだ。私の好きだった景色も既に少しずつ変わってきてしまった。そしてつまらない夜とぱっとしない男女の漂わす生々しい性の匂いに飲み込まれ、私の中で景色以外の何かも変わってしまった。

それなりに好きだった、下北沢。でも"下北沢の人"にはなれない。

あの人たちの「いつものメンバー」にはなれないし、下北沢は「いつもの場所」にはなりえない。悲しくなる程はっきりと「違う」と思った。大森靖子さんの『新宿』の歌詞をお借りするならば「あのまちを歩く才能がなかった」ただそれだけのことだ。