皮膚科に行く暇がないけどヒルドイドが欲しい人よ

ここしばらく、ニキビ薬(最近デュアックからディフェリンに変えました)の副作用での乾燥とアレルギー症状が重なってしまい、顔や首が部分的にアトピーのような状態になっていました。化粧水も保湿クリームもピリピリする上に全く保湿されず何の意味もなさず。以前にもこんな風になった時に、皮膚科でヒルドイドソフト軟膏を処方されたら本当にすぐに効果が出てすごく安心した覚えがある。けれど平日は仕事があるからなかなか皮膚科に行けない。今週末は行きつけの皮膚科が休診日…。気休めに市販のものでヘパソフトだとかヘパリン類似物質が入った商品も色々あるけれど、どれを使っても全然効果がなくて焦っていた。

 

そんな時に私を救ってくれたのがこちら。


 

パッケージも可愛いし、お値段もお手頃。皮膚科で診察料だとかそこまでの交通費だとか待ち時間の浪費を考えると、これ全然高くないと思います。で、使い心地や効果は完全にヒルドイドです(私の個人的な感想ですが…)。毎日どんなに頑張って保湿しても即カサカサになって皮が剥けていてアトピー状態だった部分もしっとり保ってくれて、塗って一晩寝ただけで家族から「少し治まってきたね」と言われたほど。

皮膚科に行けなくて困っている人も、美容目的で使いたい人も、これがとってもおすすめです!

 

マツキヨでも同様のものを出しています。

www.matsukiyo.co.jp

  「メーカー販売・製造中止のため、お取り扱いを終了いたしました。」と書いてあるけれど、都内のマツキヨで数日前に買えました。パッケージもかなり似せていていかにもヒルドイド類似品って感じですが、こちらもヒルドイドと効果は変わりません。(これも私の個人的な感想です)

 

皮膚科に行けずにヒルドイドをフリマサイト等で買おうとする方も居るんじゃないかと思うのですが、これは絶対に避けてほしいです。現在、美容目的でヒルドイドを大量に処方しているせいで健康保険財政には大きな影響が出ています。保険を適用するということは、安くした分を私たちが支払っている税金で補填しているのです。つまり、転売している人は税金を個人の儲けにしているのです。悪質ですよね。どうか、そんな悪質な転売ヤーからは買わずに、お近くのドラッグストアに行くなり通販するなりでこれらを買って欲しいです。

ロリータ服って可愛いよね

ロリータモデルの青木美沙子さんの記事『私がロリータであることを伏せて「出会い系アプリ」を使った理由』

gendai.ismedia.jp

が少し話題になっていた。

「男ウケのためにロリータやめるなんて無理!自分をつらぬく!結婚して子供を産むことも、好きな事を仕事にしてそれを貫くことも同様に尊い!」というのはすごくわかる(私も男ウケより自分ウケ派だし、ロリータ服も好きなので)けど、「自分を貫く」というところで無暗に尖って攻撃的になってしまうのは勿体ないな、と彼女のコラムを読んでいて思った。

 この記事で紹介されていた「自分がロリータ服を着ていることを伏せた状態で出会い系アプリで人とやりとりし、初対面の日にロリータ服で登場したらドン引きされて嫌な反応をされた」というの、これは青木さんも少し意地悪だと思う。そんなの、わざと引かれるような状況を作ったとしか思えない。たしかに「ナース」というのも嘘ではないけれど、お互いの姿を知らない状態で出会うからこそ、驚かせてしまうであることが予測できる特徴は伝えるべきだったんじゃないかな。それは別にロリータに限ったことじゃない。逆の立場で考えても、私だって「30代・医師」とか「30代・教員」とかそういう情報で、出会ってみたら金髪でピアスだらけのお兄さんが来たらびっくりするし上手く反応できないかもしれない。でも事前に「プロフィールも本当なんですけど、見た目はこうなんです。」って言われていたら「そういう人もいるんだ!へえ!おもしろ!」と思うし、会った時も和やかに「ほんとだ!プロフィールとはイメージが違うけど、似合いますね~!」って反応できる気がする。

青木さんは、ロリータ服に偏見がある人は勿論だけどそうでなくても驚かせてしまうようなやり方を敢えてとって「ほらね、ロリータってこういう反応される!」と卑屈になってしまっているような気がした。相手の反応が失礼なのも事実だけれど、彼女の方だって最初から真剣に相手に向き合って出会う気なんてなくて、そういう反応を確かめるために敢えてそういう出会い方をしただけでしょう…出会い系で真剣に相手を探している人達に対してすごく不誠実だと思う。

 

彼女の過去のコラムを読んでみると、ロリータを説明するために「ロリータとロリコンとは違うんです!」とロリコンを非難する言い方をしたり(私個人としてはロリコンという性的嗜好を持つこと自体は蔑まれるべきことではなく、非難されるべきなのはそこから犯罪に行動をうつしてしまう人のみだと思うので、なんだか違和感があった)、「ロリータとぶりっことは違うんです」とぶりっこを蔑む言い方をしたりと、ロリータ代表としてロリータを説明するにしてはずいぶん攻撃的な気がした。ロリータの魅力を説明するのに他者を非難することは必要なのですか…?と疑問に思ってしまう。ロリータファッションが色々な方向で誤解されがちで不快な思いをしているのだろうが、「あれと一緒にしないで」「あんな奴らとは違うの!」という言い方では誤解は解けても魅力は伝わらず、閉鎖的な世界として"異物"のままになってしまうのではないか。それよりも「こんな素敵なことがある」「ロリータ界のこんな文化にはこんな意味がある」など魅力を紹介していくうちに自然と誤解を解くの方が有効な広め方と言える気がする。

 

ロリータ服って、街を歩くだけで指をさされたり勝手にカメラむけられたり笑われたりするし、男ウケなんか興味ないのに「男ウケ悪いよ」なんて謎に上から目線なアドバイス受けたりするし、「ゴスロリ」とか「コスプレ」という正しくない括られ方をしたり、青木さんも嫌な思いをたくさんしてきてると思う。だからこそ棘のある言い方になってしまうのもわかるのだけれど、それでも「自分を貫く」というのならば、誤解されてることへの不満をとげとげしく語るよりも、楽しく魅力を語ってほしいと思った。

 

既婚者や子持ちの人に見下されるの意味不明だし不快ですって話

 「適齢期になったら結婚をして子どもを産むのが当たり前」という価値観を持つ人はいまだに多い。私もそう思っていたから、子供の頃は「結婚したら子供が"産まれる"」という表現を使っていた。将来の夢がサッカー選手であろうがケーキ屋さんであろうがセーラームーンであろうが、その結末は誰しもが素敵な人と結婚して子供が産まれるものと思っていたくらいに自然に染みついていた価値観だった。しかし、実際には結婚を「しない」「できない」「産まない」「産めない」様々な人生があって、そこにはそれぞれの幸せや苦悩があるはず。ずっと独身であることや子供を産まないことで不快な言葉を投げつけられることは多々あるけれど、どんな選択だって否定されるべきことではないし蔑まれることでもないと思っている。そんなことを私(アラサー・未婚・子なし)の視点で綴って行こうと思う。

 

 以前、女優の山口智子さんが子供を産まないという選択をしたことについてインタビューで答えていたことがあった。不妊などの理由からではなく自らの意思で子供を産まないという選択をし(理由等はここでは割愛しますが)その決断に後悔はないという旨を語っていた。その記事に対してネット上ではなんと「産みたかったのに産めなかったってちゃんと言えばいいのに」だとかいう頓珍漢な反応をしている人が何人もいたのだった。そこで初めて、こんな風に独身者や子供がいない人を無条件に蔑む人が居ることを知った。ネット上で沸き立つあらゆる議論を眺めていても、子供だとか結婚だとか全く関係のない話題の時までも「結婚して子供を産めばわかりますよ」だとか「そんなこと言うなんて、もしかして独身ですか?」「あの人、子供居ないからね…」などと言い出して、それらを経験していない人を未熟な人間かのように蔑む人達は多く存在するようだった。

 独身や子供を持たないことを否定する既婚・子持ちの人達は、私が子供の頃にそう考えていたように、誰しも辿り着くべき正しい道は「結婚して子供を産む」という道であることを前提に生きている(或いはそう思いたい)のだろう。そしてある程度の年齢になってそれをしていない人は「できない人」即ち「自分よりも劣っている人」なのだとも。

 

 しかし、私は入籍するもしないも出産するもしないもそこに優劣はないと思っている。自らの希望でそれらを選んだ人は勿論、したいのに出来ない人や仕方なくした人も含めてそこに優劣はないと。

 私自身はというと、現時点では未婚で子供もいない。結婚を考えながらお付き合いしている彼が居るので、互いに急いでは居ないけれど入籍はすると思う。彼と付き合い始めて「彼と一緒に暮らして将来も一緒に居たい」という気持ちがわいたので、彼がそれを結婚という形で叶えてくれるのなら是非そうしたいと思ったのだ。けれどもしそう思える相手が居なかったのなら「結婚するために相手を探す」ということはせず、独身で生涯を終えるためのプランを考えていただろう。実際、彼に出会うまでは一人でいることを想定して生きていたし。

 出産に関してはまだ未定。「もしも子供が産まれたら…」という素敵な想像はするけれど、それはいつだって心身ともに健康な子供であることが前提であり、「もし重い障害や持病をもって生まれてきたら?」と考えると想像できない。子供が好きだからとか可愛いからとか愛の証だとかそんな私たちの勝手な気持ちで命を産みだして、ずっと子供に大変な思いをさせてしまったらどう責任をとるのか…?と思うと、簡単に「子供を作ろう」とは思えないのだ。そしてこれはよく語られる理由ではあると思うけれど、今は彼と二人で居る時間がすごく大切で幸せなので、「子供が居るのも素敵」だが「子供が居た方が素敵」とも思っていないのだ。これらは現時点で一致している二人の考えで、色々と理由を並べたけれど結局のところ私たちの性格上は躊躇する点が多く、結論として「『絶対欲しい』と思わない限りは作らない」ということで落ち着いている。この考え方は他人に推奨したいわけではなく、あくまで私たち二人の場合は性格上こういう選択がベターだというだけである。

 

 時々、既婚・子持ちの人達から結婚や出産を急かされることがある。私がまだそれらをしない理由を問われて前述のような理由を述べると、大抵は「結婚してもお互いの趣味は続けられるよ!」「子供がいたって夫婦の時間もあるしデートもできるよ!」「結婚・出産したら大切なものが増えるだけ!二人の関係は変わらないよ!」「子供は親を選んで産まれてくるから、育てられない子供は産まれないよ!」などと、私が独身でいることや子供を産まない理由を打ち消し、結婚・出産を無責任に強く勧められる。彼女たちが現在幸せだというのも嘘ではないのだろうけれど、なんだか「私は何も失っていない!私の方が幸せ!」と自分に言い聞かせるかのような必死さや、「自分とは別の形の幸せがある」ということを認めたくない頑なさを感じてしまう。

どちらにも良い面や悪い面があると思うし、それぞれ得るものも失うものもあると思う。そしてそれらの感じ方も人それぞれ。彼女らが「旦那・子供がいる生活が幸せ」というのも「あなた達の場合はそうなのね」という話であり、私がそれらをせずに幸せなのも「私の場合は」なのだ。それぞれの幸せや環境が互いに当てはまるわけではない。各々が自分で選択して生きているのだから、それで良いではないか。…とはいえ、自分と異なる選択を否定したくなるのはわかるけれど。例えば自分が子育てでてんてこまいの時に独身の友人が綺麗に着飾って自由に遊んでいるのを見たらモヤモヤする瞬間があると思うし、逆に自分が独身でもう子供産むのも難しいなっていう歳になった頃にふと楽しそうな家族連れを見かけてモヤモヤすることだってきっとあると思うから。それでも、自分の人生を肯定するために、自分とは別の選択をした人間を否定すべきではない。

 

 私は中学から大学まで女子校だったこともあり、「女性の自立」「ジェンダー」などの授業で性や生き方の多様性について幾度も触れていたので、ありがたいことに「結婚すべき」「出産すべき」というような固定概念から解放され、他のあらゆる選択肢の例を提示してもらえる機会は多かったように思う。また、ほとんどの友人が高校卒業後は4年制以上の大学に進学して就職をするという進路だったからか結婚・出産ラッシュも比較的ゆっくりめな方で(むしろ出産はまだそんなに多くない)、若くして周囲の結婚や出産ラッシュに焦る環境でもなく、「みんなそうだから」と流されることなくゆっくりと自分の今後を考える時間があった。そして男性は特に「子供をつくらないなら結婚するメリットがない」というような考え方をする人も多いように感じるけれど、そんな中、「子供はどちらでも良いけど、結婚したい」と言ってくれる彼と出会えたことも、私は幸運だったと思う。

これからのことはわからない。彼と結婚しないかもしれないし、子供が絶対に欲しいと思う時がくるかもしれない。だけど、その都度きちんと自分にとってのベストな選択をしていきたいし、いつでも自分の選択に自信を持って生きたいと思う。

 

FEELCYCLEの退会の仕方について

以前こちらの記事でも通販などの会員登録と退会について触れたことがあったけれども、

yogoretemoiino.hatenablog.com

先ほどの記事を書いて、そういえばフィールサイクルの退会もまたややこしかったということを思い出したのでここに書いておく。

 

web上のマイページからの退会手続きはできないようだったので受付で退会を申し出たところ、しつこく引き留められることはなく「マンスリー会員(=定額行き放題)を解約すると、自動的にチケット会員になる」という説明を受けた。つまり、月々の引き落としはなくなるけれども会員としてのアカウント登録は継続されて、チケット(という名の都度クレカ引き落とし)でのレッスンは引き続き予約が可能とのこと。「退会」の解釈違い…?と思いつつ、それがここでの「退会」の手続きならばとりあえず…と、その解約手続きをした。

 

しかし数か月後、もう利用することもないだろうにこのまま無駄に会員としてアカウントを持つのも気持ち悪いなーと思い退会方法を調べたところ、ホームページのFAQをみても「解約」とはチケット会員になることとされており、そのチケット会員を解約すること、即ち完全なアカウント利用停止の案内が一切ない。なにこれ怖い!

せめてクレカ情報(原則としてクレカ決済のみの対応なので登録していた)だけでも削除しておこうとしたところ、マイページからはクレカ情報の変更はできるものの削除はできない。結局、完全な利用停止を求めてカスタマーセンターに連絡をし、メールで何通かの事務的なやりとりを経て無事にアカウント(マイページ)の利用停止処理とクレカ情報の削除処理をしていただけた。

結果的には削除してもらえてよかった(対応も丁寧で質問にもきちんと的確に答えてくれた)けど、この「解約」と称して解約していない・利用停止の方法が明記されておらず、問い合わせてはじめて対応してもらえる…という点だけはちょっと意味不明だよ~…思った。冒頭に貼った記事にも書いたことだけれど、会員登録がわかりやすくて簡単なら、退会の手続きも同様にわかりやすく明記しておく方が印象がいい。

 

ということで、マンスリーやリミテッドを解約したものの、いつまでもチケット会員として籍が残っていて解約できていないことに不安や疑問を感じている人はカスタマーセンターにその旨をご連絡することをおすすめします。スムーズに対応してもらえますよ。

 

最後に。。私のように退会できなくて困惑してる人がいたら…と思ったのでこの記事をかいたけれど、フィールサイクル自体は私みたいにコミュニケーションが苦手な人間でも運動を楽しめる良きジムだったと思うし、こうして申し出ればきちんと対応をしてくれるわけなので、興味ある人にはぜひ行ってみてほしいな~、という気持ちは変わらないです。

FEELCYCLEは意外とコミュ障に優しい環境

大人になると代謝が悪くなるとはいうけれど、こうもみるみる体重が増えていくものなのか。二十歳を過ぎたあたりからそれを感じ始めたものの、(体重が増えたり減ったりなんてよくあるよね)とか思いつつ対策を練らずにいたら体重は増える一方だった。よく考えたら年齢による体の変化のせいだけじゃない。明らかに運動量が減っている。中高生時代のように体育の授業もなければ、大学時代のように広いキャンパス内を歩き回ることもない。今の私の生活といえば、平日は家と最寄駅の往復(片道5分程度)しか歩いていないのだ。(会社最寄駅~会社があるビルは直結なのでほとんど歩かないし、仕事はデスクワーク。)そりゃ太る。

 

そんなこんなで、フィールサイクルというジムに入会した。クラブミュージックに合わせて暗闇の中でエアロバイクを漕ぐというレッスンプログラムのジムである。「are you ready!?」「イェェェェェィ!フゥゥゥゥ!」みたいな掛け合いをしながらプログラムがすすんでいくのが特徴なもので、本来は私のようにコミュニケーション苦手な陰キャは「えぇ…ムリ…」と尻込みするような場所である。しかし実はここ、コミュ障でも一人で楽しく通える場所なのである。入会時こそ説明諸々のためにインストラクターと会話をするが、それ以降は望まない限りほとんどコミュニケーションはない。ネット上で予約をし(バイクの位置を選ぶ形で予約するので、空いてるバイクを探してウロウロすることもなし)、ジムに行く際にはカウンターの機械にカードをかざして「ピッ」とすればチェックイン完了。レッスン中はコール&レスポンスはあるけれど個々に煽ってくるようなこともないし勿論黙々と漕ぐのも可。良くも悪くも目立ったりしない。好きなように楽しんで、終わったらシャワーを浴びて帰宅。コミュニケーションといえば、インストラクターさんがすれ違いざまに「こんにちは~」「おつかれさまでした~」と挨拶しながら通り過ぎるくらい。なのでコミュ障の私にはとっても優しい環境と言えた。常連集団で群れている人も居るけれど、基本はみんな1人だし。だから「コミュニケーションは極力避けたいけど、一人でマシンジムに行っても何をしたらいいかわからない」という人にこそぜひ怖がらず試してみてほしい。

 

レッスンは一番やさしいクラスでも普段運動をしない自分にとっては結構ハードで、ビッショビショに汗をかく。インストラクターの方も「途中できつければ無理せずゆっくり漕いで休んで」とおっしゃってるくらいなので、プログラムの流れに合わせるよう強要されたりはしないから安心だけど。なんとなく「やった!」という感じがして気持ちが良い疲労感があった。運動ってあまり好きじゃなかったけれど「運動=ストレス解消」と言われているのもなんとなくわかる気がした。私は基本的には黙々とやっていたけれど、たまにはコールアンドレスポンスにも参加して大きい声を出すのも気持ちよかった。普段、思いっきり大きい声を出す場なんてそうそうないものだし。体力を使うようになったからか、寝つきも良くなったように思う。

 

そんな感じで頑張って通っていたのだけれども、結果的には1年半ほどで退会してしまった。

理由は2つある。1つは「週2~3回いこう!」とゆるく決めていたことがいつのまにか「週2~3回行かなければ…」という強迫観念に近いものになってしまい、予定が入ってしまって行けない週があったりして通うペースが崩れてしまったり思うようにスケジュールが組めなかったりすると、ストレスを感じるようになってしまったのだ。そうなってきたら、レッスンを受けても以前のように気が晴れなくなってきて、解消されるストレスよりも溜まっていくストレスが大きくなってきてしまった。これに関しては、退会したらすごく気が楽になった。私の体力や性格の問題なんだと思う。

そして2つ目は、1年半通って、周りの人に「痩せた?」とか「綺麗になった」と言われることは増えたのだけれど、自分では特に変化が実感できず、体重の変化も見られず、モチベーションが保てなかったこと。やはり食生活も何も変えずにただ週に2~3コマのフィールサイクル通いだけを取り入れたという状態では、わかりやすく「痩せた!」と思えるような効果が出にくかったみたい。インストラクターさんは「食事は我慢せず、これだけで痩せました!」と言っていたけれど、そもそもインストラクターさんは元々運動をする習慣があっただろうから基礎代謝も違うし、レッスンでほぼ毎日のように1日何コマもこなしているのであればさすがに変わるよね。

 

 

そして現在、フィールサイクルをやめてから1年半ほど経過。生活リズムや食生活など相変わらずで、ただフィールサイクルに通う前の生活に戻りました…ら、なんと太りました。年々体重が増えていく中で「フィールサイクルに通っていた間、体重が変わらなかった」というのはダイエット失敗ではなかった。十分に効果があったんだな…と実感。アラサーにもなると、少しがんばってやっと現状維持できるんですね。何もしなかったら太るんですね。ということで、またダイエットを始めますのでそれについてはまた別の記事で書きます。

パーソナルカラー診断の結果にモヤモヤした話

 

今や雑誌でもネットでもパーソナルカラーの自己診断はたくさんあるけれど、どれも「自分ではどちらとも言えない」と思うような項目が多い。私自身も、自分で似合うと思っている(あるいは友人から似合うと言われる)色が実は「見慣れてる・着慣れてる」からそう感じているだけなのかも?と疑問を抱き、プロにお任せしようと決めた。

しかし、どこのサロンも予約が1ヶ月以上先だったりする盛況っぷり。お値段もお手頃とは言えないサロンが多いので、予約するのもなかなか気軽なものではない。そこで、私が行ってみて感じたことをここにまとめてみた。興味ある人・診断結果にモヤモヤしている人たちの参考になれば。

 

・一人で行った方がいい

2人以上で受けることができるシステムがあるサロンは多いけれど、断然一人で行くのが良い。

アナリストさんはプロの方なので、基本的にはパーソナルカラーシステムに基づいて客観的な判断をしてくれるが、複数人を一緒に見ているとどうしても相対的な判断は入ってきてしまうと思う。例えば、ブルベのテンプレと言わんばかりの"超ブルベ"な人と、一見黄味肌だけど血色はブルベっぽかったり…というなんとも微妙な人が2人で来た時。映える色とそうでない色が明確にわかりやすいのは前者で、後者は「どっちも大して変わらないような…?」というドレープが多々あるのだ。けれど、そうなると後者への判断が無意識のうちに前者との相対的なものになってくる恐れがある。どちらかがわかりやすく振り切っている要素を持つ場合は特に、もう一方は相対的に見た判断をされるリスクが高い。繊細な判断をしてほしいのなら、勇気を出して1人で行くことをおすすめする。

 

"ベストカラー"に縛られてはいけない

アナリストさんに「こちらのドレープの方が映えますね」と言われたけれど、正直もう一方のほうが綺麗に見えたんだけどなー…?と思うこともある。「映える」という基準が、パーソナルカラーシステム上の定義と個々の美的センスとでは違うのだから、当然である。例えば顔の立体感についての定義は「立体感があり小顔に見える」が良しとされ、「平面的でぼんやりふんわりしたフェイスラインに見える」のはNGカラーになる。しかし、もし目鼻立ちがくっきりしていてキリッとした顔にコンプレックスを持つ人からしたら、後者の方が「なりたい自分」かもしれない。「これは子供っぽいですね」と却下された色も、少女っぽさを出したい人にしたら「それがいいんだよ!?」と思うかもしれない。だから、アナリストさんの判断は「定義上のもの」として受け入れつつ、却下されたけど自分的にいいなと思った色も「パーソナルカラーの定義上ではベストではないけど、なりたい自分に近づける色」として取り入れていけばいいのだ。特に日常生活では、人柄や声や口調や表情などあらゆる要素が入った上で「似合う・似合わない」と判断されているから、システムとは判断基準が違ってくるはずだ。だから、パーソナルカラーシステムに基づいた判断ではそうだとしても「ベストカラー以外は似合わない」ということではない。好きな色や似合うと思っていた色がベストカラーに入らずとも、「このシステムの基準ではそうらしい」くらいに受け止めれば良い。

そもそもこのシステムは4分類だろうが16分類だろうが、いくつかの要素から統計的に似合うことが多いとされるタイプに押し込められる分類理論。個性や好みは無視されるのだ(逆にその辺を配慮してしまうと、システムとして無意味。)。ただただ宗教のごとくベストカラーだけを身に着けるのでは、季節感もなければ個性もない、おまけに自分がなりたい自分でもない…誰得??なことになってしまう。

ラーがどのグループであろうと、身に着けたい色・柄・系統・なりたい自分像を貫いて良いのだ。その中で、色選びやコーディネートに迷った時の基準として「あのシステム上では、自分にはこうした方が合いやすい」という知識を持っていると、より良い判断ができるかもしれない。そういう風に生かせばいいのだ。どうか「ベストカラー以外は買わない」だなんてオシャレの幅を狭めてしまうようなことはしないでほしい。

 

・「顔が著しく映えない色」の扱い

ドレープをあててみて、自他ともに認めるレベルで"顔が著しく映えなかった色"があると「全く似合わない」「この色は金輪際ふれないほうがいい」ばりの言い方をするアナリストさんもいるので、診断を受けて悲しい気持ちになってしまった方もいるかもしれない。しかし、カラー診断の基準は「顔周りに持ってくる色として」「その色の単色のドレスを着るとして」映えるかどうかというところなのだ。つまりそのような色は、ボトムスやカーディガンなどに持ってきたり、顔が映える色の襟やスカーフで顔周りにワンクッションおけば、問題なく似合う場合が多い。扱いさえ気をつければ、パーソナルカラーシステム上は「似合わない」としても、周囲からみたら「似合う色」になりうるのだ。「似合わない色は身に着けてはいけない」ではなくて「似合わない色の扱いを工夫しよう」ということを学べるのがカラー診断。自分の好きな色をアナリストさんに「この色は難しそうですね…」なんて渋い顔をされても、どうかあきらめず好きな色を貫いてほしい。

(顔が映えない色は、ネイルやリップに使う場合も扱い要注意♪)

 

以上が、私が何度か受けて感じたこと。

 

私も最初は「え、この色ダメ…?」「似合うからってこんな色の服きたくないよー…」「そういう系統全く好きじゃない…」「こんなチークの色、全然可愛くない!」と勧められたお洋服やコスメを見てテンションが下がったりくちである。だけど、今は自分のPC属性にこだわらず、好きな服をどう組み合わせたらもっと綺麗に着こなせるかを考えたり、今まであまり手を出さなかった系統も「どうやら似合うらしい?」ということで挑戦してみたり、診断結果をポジティブに楽しんでいる。

 

診断結果に気を落とされている方も・これから受ける上で「自分の好きな色がベストカラーではなかったら…」と心配している方も、どうかポジティブに楽しんでほしい。

東野圭吾『幻夜』を読んだ

今更ながら東野圭吾の『幻夜』を読了。『白夜行』の姉妹作であることから、2つを絡めて色々と感想を。

(以下、両作品のネタバレあり)

 

白夜行と絡めて考えず、『幻夜』という独立した作品としては面白かったと思う。ただ、白夜行の続編として…美冬を雪穂として読むのならば、この作品は蛇足だったように思う。

白夜行』は、根底に初恋・お互いへの愛情があるからこそ悲しくて綺麗な話だったと思う。どんなに手を汚しても、お互いに他の人と暮らしていても、そこには小学生の頃の彼らがいて身を寄せ合いながら歩いている…そんな物語だった。笹垣が2人をエビとハゼの共生に例えたように"共生"だった。(白夜行のラストシーンの解釈で2人の関係への解釈もわかれるようですが、私は2人が互いに"最愛の人"だったと解釈しています。)彼らの関係性があったからこそ、罪を重ねていくことが物語として深みになっていったと思う。

けれど『幻夜』は、"共生"している2人ではなく"悪女とその駒のうちの1"を描いた悪女物語。『白夜行』とリンクさせることによって考察の幅は広がるけれど、リンクさせずに単品で良かった気がする。私のような視点で『白夜行』を好んでいた人にとっては"白夜行の第二部"としては期待外れだったんじゃないかなと思う。

 

私は雪穂が好きだったけれど美冬は好きになれず、美冬の正体は雪穂なのであろうと思わせるような書き方をされているけれど、雪穂であってほしくない…というのが素直な気持ち。

美冬はあまりにも露骨に悪女くさくて、雪穂のようなスマートさがない。セックス論を語るところや生肉を食べさせるくだりなんて特に知性に欠いており、まるで胡散臭くて気合い任せな自己啓発セミナーのようなノリに思えてしまって…。水原といる時の関西弁や、水原以外にも時々見せる気の強そうな態度を含め、著者が意図的に雪穂のイメージに反するような人物像を描いたのだと思うけれど、色々と必要以上に過激なやり方をとりすぎていて、もはや表に向きの顔ですら、雪穂のように育ちの良さそうな優雅さよりも、"水商売から金持ち旦那をゲットした成金奥様"みたいな感じに思えてしまう。水原への「相談(と言う名の決定事項)」だの「二人の幸せのため」だのと言う口説き文句も、歌舞伎町のホストばりに安っぽくて胡散臭い。巧みな人心掌握というより、脅しに近いようなやり方とハニトラみたいな短絡的なやり方ばかりなんですよね。

 

単なる悪女物語としてはお見事で気持ちいい結末なんだけど、彼女が雪穂なのだとしたら残念でしかない…。

私が手にとった文庫本の『幻夜』の帯には「110万人が慄えた悪女の素顔」と書いてあったけど、美冬が雪穂であるにせよそうでないにせよ、ここには彼女の素顔なんてなかったように思う。気が強い態度も、きつめな関西弁も、あの胡散臭い甘い言葉たちも、すべてはコマを動かすための演技であり、彼女の素顔なんてどこにも明かされていない。

そしてもし美冬が雪穂なのだとしたら…彼女の素顔が見られたのはきっと亮司だけでしょう。そうであって欲しい。

 

そんなこんなで、白夜行"雪穂と亮司の関係ありき"なあの空気がすきだったので、続編・姉妹作としての幻夜は蛇足であったというのが私の印象ですが、白夜行のイメージを壊さないまま幻夜を都合よく解釈するとすれば「夜を照らしてくれていた亮司が居なくなった世界で、1人で暗い夜を生きるための覚悟が雪穂をモンスターに変えた」というところに落ち着くかな…。亮司が命をかけて切り開いてくれた未来を無駄にしない、その未来の続きを自分で切り開いていくためなら手段は選ばない、と。

 

しかし"続編"というにはなかなか上手く繋がらない箇所が多いよね。例えば白夜行のラストシーンから幻夜の最初のシーンに行くまでの期間もすごく短いので、そこまで迅速に雪穂の頃のあらゆることを清算できないよね?という点だったり、新海美冬(本物)のような存在も白夜行には登場しておらず、おそらく浜本夏美がそれにあたるであろうが名前が違うということだったり。そういう点を考えると、幻夜白夜行パラレルワールドのお話として捉えるのが妥当なのかな思う。始まりは白夜行だけど、どこかの分岐点で違う選択をした世界線の雪穂のお話。

3作目もあるか??みたいな空気もあったけれど、もし3作目があるなら今度こそ雪穂や亮司の素顔を見てみたいな。

 

東野圭吾の著書は「これは伏線だから覚えておいてね!」「さっき出てきたやつ、これです!」という調子で物凄く回収しやすい伏線が散りばめられているので、普段本を読まない人にもわかりやすい。ミステリー小説の入口として適切だと思うし、あまり本を読まない部類の人が「東野圭吾は読む」「唯一好きな作家は東野圭吾」というのもなんとなくわかる気がした。わかりやすいだけでなく、それでいてどうともとれるような表現も多いから色々考察できる余地があって、読書が好きな人にもファンは多いのでしょうね。何かとワンパターンなのも言い方を変えれば「らしさ」だものね。